偉大なる落語を後世に遺しつつある大師匠たち(16) 柳亭市馬(その4)[夏休みブログ]
夏休みブログ「落語ブラリ旅」 2013年8月18日(日)
偉大なる落語を後世に遺しつつある大師匠たち(16)
柳亭市馬(その4)
難しい演題に挑戦する
柳亭市馬師匠は、多くの噺家が、避ける難しい噺から、逃げずに挑戦しています。
「黄金餅」などは、その良い例です。この噺「黄金餅」は、演題としては、輝かしい響きをもった題ですが、噺の内容は、きわめて、悲惨です。
念仏僧、西念が、長屋で死にました。西念は、金を貯めることだけが生き甲斐で、死に瀕した時、二分金、一分銀を、山ほど貯めていました。死を自覚したとき、隣室の金兵衛に、あんころ餅を沢山食べたいと頼みます。
そして、金、銀の粒を、全部餅にくるんで、飲み込んで死にました。これを、塀の節穴から見た、金兵衛は、その金、銀を奪おうと考えます。
葬儀の後、一人で西念の遺体を火葬場に運ぶと、焼いてもらい、秘かに、その腹を包丁で切開して、金銀を奪い逃走します。
そして、金兵衛は、この金を元手にして、目黒で餅店を開き大成功しました。それで、この店の餅は、黄金餅と呼ばれ、江戸名物になりました。
この噺は、人間の深い欲の業をリアルに描いた噺で、数ある落語の中でも、極めつけの心の暗闇の話です。
金銭亡者で、死後も、その金を人に渡したくない西念。それまで普通の人間だった金兵衛が、金が手に入るとわかると、死者を冒瀆し、平然とこれを奪い、遺体をそのまま捨てて逃げる。その人間の欲。しかも、その許しがたい悪党が、この奪った金で、商売繁盛して、江戸の名物になる、理不尽。
普通に、この話を聞くと、腹が立ち、心が暗くなります。これを、聞くものに明るい気持で聞かせるには、高度の話術が必要であり、噺家、本人のキャラクターも、求められます。このことは、それだけの度量のある噺家でなければ、扱うことが難しいネタであると言うことです。
そのことから、この噺は、語り手を選ぶ噺の代表と言われています。すなわち、噺家の人間としての度量が試されるネタなのです。
ちなみに、この噺を十八番としていたのは、5代目古今亭志ん生と7代目立川談志です。それぞれ、ひとかどの人物でした。
柳亭市馬は、この難しい噺を、見事に話しました。私は、明るく楽しく聞ききりました。これは、市馬の人間としてのレベルの高さを証明しています。
また、柳亭市場が良く話す噺に、「甲府い」と言う噺があります。この噺は、甲府育ちの男が、江戸に出てきて、豆腐屋に奉公し、真面目に努力して、その努力が認められて、その家の娘を娶り、夫婦で、甲府へ里帰りするという噺です。
この話は、本当に性善説の話で、主人公が真面目に頑張ると、周囲も皆、良い人で、それを評価してくれて、幸せな家庭が作られていきます。途中に、悪意を持って、邪魔をする人間は出てきません。それだけに、話に山谷がなく、淡々としていて、笑う場面もあまりありません。
この話を、柳亭市馬は、ぐいぐいと話を進めていき、弛むところなく、話を押し切っていきます。下手な噺家が話したのでは、途中でだれてしまうでしょう。このような噺を、聞き手を引きつけたまま話せる、市馬の話芸は凄いと思いました。
平素から、どの噺をしても明るい市馬ですが、この噺は、文字通り明るく、明るい花が満開のような噺でした。
市馬のよく通る高い声での「甲府い(豆腐い)」が、素晴らしい「落ち」でした。
落語は、噺の筋の面白さで笑わせる、また、噺の筋で話に引き込むと言われますが、この噺には、筋の面白さは、どこにもありません。
従って、「これは落語ではない」という師匠もいます。
このような噺を、ぐいぐいと、緩むことなく、客を引っ張っていって、明るく楽しいものを、客の心に残す市馬の話芸は、凄いのです。
「黄金餅」や「甲府い」のような、演者を選ぶ、難しい噺を、何事もなく、明るく話す市馬師匠は、凄い人なのです。
2013/08/18 13:57:39 |