新着記事

  • 人生

    計算

    サッカーや野球で、選抜メンバーを選ぶとき、監督は、どういう基準で行っているのだろうか。よく日本代表レベルだと、日本国中で話題となるため、賛否両論が聞かれることがある。監督は会見で、あの選手を選ばなかった理由は何かと、尋ねられている。たとえ実力があったとしても、ポジションが重なっているときや、コンディション、それから戦術理解の問題から、選考漏れする選手があらわれるのだ。高校のとき野球をしていたが、ど...

    2023年3月18日

    中西 哲也

  • ふりかえる

    共通理解の醸成

    今日、昔の研究会の話が、頭から離れなかった。研究会で話を振られて、つい話しすぎたことだ。公開論文ゼロの私が、研究者に質問するのは、失礼だろうと、マジメに考えていた頃の話だ。国際政治の左派と右派は、共通理解に達することが可能かどうかについて、マジメに考えていた頃の話だ。そんなことは、今どうでもよくなって、お偉いさん方にお任せしようと思っている。核ミサイルを持たない日本が、非友好国に囲まれた状況におい...

    2023年3月16日

    中西 哲也

  • ふりかえる

    お金と縁

    お金は好きだが、専門的に突き詰めて考えるほどのものではないと考えていた。そろばんを教える手伝いをしているのに、たいへんまずい話なのだが、お買い物ではほとんどお釣りなど、計算していない。値引きの計算も、面倒くさくてしていない。その結果、屋台などで、お金の計算を間違えて、損をしたことがある。自分のことになると、あまり思い出したくも、言いたくもないほどだ。しかし、他人のお金にまつわるエピソードを聞くのは...

    2023年3月13日

    中西 哲也

  • 絶望

    信頼

    有名な作家というのは、読者からの「信頼」を得たといえるのだろう。ただ、私の好きな作家や画家が、社会的な信頼を得ていたとはいえないことも知っている。別に、すすんで悪い人間になろうとは、もちろん思っているわけではない。しかし、真面目にやっていることが、馬鹿馬鹿しくなるのは、なぜなんだろうか。社会との不調和?昔人に言われて、私自身もそらそうやなと思ったのが、「ちゃんと働きよ」ということだった。たしかに、...

    2023年3月12日

    中西 哲也

  • 人生

    自己反省がない

    頭のいい人たちは、なかなか謝らない。文科省の『学習指導要領』は、新しくなったとはいうものの、その理由を「時代」に押し付けることはできないだろう。批評家の小林秀雄からすれば、戦後という時代は、西洋近代の合理主義がいきすぎた時代であった。その時から、情操教育を唱えて、主体的に考える、そして「創造」することの意義を唱えていた。小林が指摘していたように、外部の観察ではなく、もっと内面を見つめるべきだったの...

    2023年3月11日

    中西 哲也

  • 文体

    祖母のこと

    このたび、祖母が施設に入所することになった。入所できるだけでも、このご時世では、たいへんのことのようだ。要介護のレベルとか、コロナの件など、もしかすると関係しているのかもしれない。私は、日々介護していたわけではないのだが、話を聞くだけでも、疲れてくる。もう私の顔や名前も、祖母は忘れてしまっていた。思い出すのは、もう一人の祖母が、脳関連で車いす生活を続けていた姿だ。だいぶ前に亡くなったのだが、施設に...

    2023年3月6日

    中西 哲也

  • 文体

    生活と芸術

    今日、電車に乗っていると、精神病院でお世話になった職員さんを見かけた。「お世話になった」とは表面上は言うものの、強制的に入れられて、病院から脱走しようとしていた私からすれば、当時は「敵」にしか見えなかった。声をかけることはしなかったが、あれから8年も経つのに、まだ勤務されているのだなと思った。このように、今は良いように言えば、一種の「超越的」な感じになりつつある。ただ、それは、単に時が経って、過去...

    2023年3月4日

    中西 哲也

  • 教育

    そろばんの意義

    そろばんを教えていて、何の意味があるのだろうと、よく考える。子どもの頃にやっていて、大学院生のときに、少し手伝っていた。そのときは、丸付けくらいのものだった。そのため、やはり生徒が親に、教室に「おっさんがおる」みたいなことを言っていたようだ。そのときよりも手伝うようになったきっかけは、「リハビリ」であった。母に言われて嫌な言葉は、最近は「正常」に戻りつつあるようね、という言葉だ。精神科医みたいな表...

    2023年2月22日

    中西 哲也

  • ふりかえる

    自己を語るということ

    自作を語るわけではない。今後の「文体」について考える、そういうきっかけでしかない。なぜ書くのか?別に与えられた問題など解きたくて、学問をしているのではない。それはもういい。「研究者失格」という肩書きは、「芸術」や「創作」に向かうしかない。東郷克美『太宰治という物語』の最初だけ読み終わったところだ。東郷は、太宰がどうして作家になろうとしたのかについて、太宰作品を読み解きながら、「転向」の意義について...

    2023年2月21日

    中西 哲也

  • 人生

    デジタルとアナログ

    現代社会の大きな課題は、デジタルとアナログだと思う。この問題自体は、すでに多くの論者が書いていることなのだから、門外漢があれやこれやと言う必要はない。私がこの問題について言いたいことは、私が身近に感じたことから、これから生きてゆこうとする方向性について探るという姿勢である。予備校で現代文の問題を解説する時、必ずデジタルとアナログの問題が取り上げられているが、それは日本の問題そのものだからだ。日本が...

    2023年2月17日

    中西 哲也

  • 絶望

    何のための学問か

    最近、女性の国際政治学者が、夫のビジネスの影響を受けて、メディアへの露出を控えているというニュースを知った。私は、もう外の出来事に関心がなくなったので、そのことについて、とやかく言うこともないし、そんな権利も持ち合わせていない。ただ、以前に国際政治関連の論文を書いたことがあるので、このニュースが目にとまっただけのことだ。私が言うまでもなく、生真面目そうな人が、忠実に学問をせずに、お金目当てでメディ...

    2023年2月13日

    中西 哲也

  • 絶望

    湧きあがるもの

    私の内面から湧き上がってくるものがあった。それは、表現しがたいものであった。一番適切な表現は、もしかすると、「自分とは何者か」になるのではないか。それは、「問い」である。それは、普遍的な問いである。そんなものは、皆思っていることでしょ、と言われそうである。たしかに、その通りだ。その問いを、内に秘めながら、日常生活をこなすことができる方が、「常識的な社会人」として活躍されておられるのであろう。それで...

    2023年2月8日

    中西 哲也

  • ふりかえる

    内なる他者

    昔、精神科医・斎藤環の本の中で、「内なる他者」と出会うという言葉を知った。たしか、「ひきこもり」問題について述べられていた箇所で、その原因の説明に焦点が置かれていたように記憶している。私の関心に沿って、斜め読みさせてもらったのだが、誤解を恐れずに言えば、斎藤環は、「ひきこもり」の問題点だけでなく、それを理解した上で、「創造性」にまで高めてゆくという意識を有していたように思う。「ひきこもり」の結果、...

    2023年1月30日

    中西 哲也

  • 人生

    しょーもね

    軽いタイトルになってしまったが、文章を書いているときに、何かに取り憑かれているようになっていると、他のことなど全く眼中になくなる。そのため、昔はほとんどそれ以外のことは意識していなかったのだが、日常生活を送ることに注力せねばならなくなって、別にしたくもないことをしていると、タイトルのような感情に、どうしてもなってしまうのだ。それば、売れている作家であれば、やはり名文家は世離れしている人だと、逆に誉...

    2023年1月24日

    中西 哲也

  • 教育

    めぐりめぐる

    くだらない話なので、1回でまとめたいと思う。因果応報とはよく言ったものだが、生徒に教えていると、過去の自分の体験と似た構造が頭に浮かんでくる。アナロジーとでも言うのだろうか。テナントを借りる前に、自宅で教えていた時、2台分の駐車場を借りていたが(父の車を入れると3台分)、それでも足りない時間帯があった。間の悪いことに、保護者さんが別の駐車場に駐めて待機していて、借り主と鉢合わせてしまうという出来事...

    2023年1月21日

    中西 哲也

  • ふりかえる

    占いと学問

    何度も繰り返して申し訳なく思うが、研究が行き詰まったのが、評論の始まりになった。それは、今から振り返ると、自分という人間とは何者かを知る、大きな転機であったのだが、当時は、お先真っ暗という感じであった。うすうすと学者のやっていることや人となりに、うさんくささを感じつつも、学びながら将来飯を食っていきたいということに対して、淡い期待を抱いていたのも確かである。今から考えると、自分を知らなかったのだな...

    2023年1月12日

    中西 哲也

  • ふりかえる

    思いがけず

    人生においては、思いがけないことが起こりえます。今回は、そのことについて話しますが、微妙な問題です。話したいんだけれども、知られてほしいとは思わないというような感じです。スティーブ・ジョブズが述べているように、今自分がしていることが将来につながることを信じるべきなのですが、彼自身がそうであったように、点と点がつながったと分かるのは、将来のことだということは、もどかしい限りです。つまり、やっているこ...

    2022年12月18日

    中西 哲也

  • 教育

    自己肯定と自己否定

    ここに辿り着くまでに、紆余曲折があった。そろばんを教えるのを手伝うといっても、大学院生だった時に、手伝っても嫌になって、やめて、また戻るの繰り返しだった。また、教える仕事とはいっても、姉や弟のように、学部生だった時に教えた経験があるわけでもない。柄ではないと思っていたからだ。それは、私の過去を知る学校の先生が、今の私を見ても、ほんまかいなという気持ちになるだろう。同級生たちは、私が真面目だと勘違い...

    2022年11月29日

    中西 哲也

  • 教育

    学ぶということ

    兄弟・姉妹でも、性格や能力は異なるものだ。親は、日ごろから子どもとどのように接しているのだろうか。私には、子どもがいないし、結婚もしていない。ある保護者から、子どもは宝なんですよ、と言われたことがあった。そのあたりにいる親は、子どもを自分と同一化して、愛している。自然な感情なのだろう。しかし、冷静に、客観的に、親は自分の子どもを見るべきなのではないかと思うことがよくある。というのも、明らかに学習の...

    2022年11月28日

    中西 哲也

  • 私と評論

    対象に入り込む

    評論に本格的に取り組む前に、博士論文や投稿論文をボツにされた。その時は、失格者の烙印を押されたような気がしていたが、小林秀雄や太宰治を読むことで、前に進むことができた。客観的に見た時、私の言葉は、「負け犬の遠吠え」のように聞こえるかもしれないが、私は、これで本当によかったと思っている。将来、太宰について本をまとめたいと考えているが、彼は「脳病院」の体験を通じて、主観と客観の問題について深く問うこと...

    2022年11月27日

    中西 哲也

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