新着記事

  • 私と評論

    受け答え

    太宰治全集を読み続けている。何が太宰文学を永遠にしたのだろうかと、考えてみた。戦後日本に絶望したことだけではないのかもしれない。科学批判もおもしろい。作者の分身がいることもおもしろい。なかでも今日取り上げたいのは、話の展開と会話だ。どこかで、ある評論家が、太宰がしっかりした骨組みの構成をとることができなかったと指摘していたような気がするが、感性に優れた作家は、やはり話のオチだけではなく、軽妙な会話...

    2023年11月20日

    中西 哲也

  • 人生

    生きる動機

    太宰治の作品、とくに後期は、自己と他者の認識と乖離がはっきりと書かれていた。彼とその作品を取り扱うにあたって、学者のような「客観的」な書き方をしてしまうと、結局、他人事のような印象を与えてしまう。戦後日本をどう見るかについては、評者の経験や見識によるので、とやかく言うことではない。それでも、太宰の問いにどう答えるかが、私個人として、きわめて重要なのだ。飯を食って、ぐうすか寝て、休日レジャーに行く。...

    2023年11月6日

    中西 哲也

  • 私と評論

    構造と実存

    昔、国際政治の本を読んでいるときに、「構造」という用語を学んだことがある。かなり粗い説明になるが、その本によれば、確か、その定義は「諸要素とその関係」というものであった。たとえば、ある出来事や事件が起こった際に、いくつかの要素というか、原因の候補を挙げてみる。基本的には、その原因がどのくらいまで結果に対して影響を持っていたのかについて、詳しく検討していくことになる。ここで注意すべきは、原因は必ずし...

    2023年10月12日

    中西 哲也

  • ふりかえる

    縁を切る

    私は、将来、知人や親戚筋とは、完全に縁を切ろうと思っている。今でも切りたいのだが、親や姉弟がいるから、なんとか一般社会の中で生きることができている。役に立つとか立たないのレベルではない。言葉にはできない。悲しくなる。冒頭の様な発言をせざるをえないこと自体が、良くも悪しくも、私の「人間性」をあらわしているのかもしれない。生死の狭間に立った経験がある。常識人からすれば、頭がおかしいのだろう。しかし、「...

    2023年9月25日

    中西 哲也

  • 人生

    お金のこと

    恥ずかしながらなのですが、今更ながら、当たり前のことに気づきました。自分の家のメンテナンスを、DIYでしようが、田畑で野菜を育てようが、自分のためなのであって、金銭を稼ぐことにはなっていない。しかし、楽しい。収入として得ているのは、もっぱら「教育」関連であって、他人のために、ということが優先されている。ストレスがたまるし、本来進んでやりたくないような類のものだ。ほとんど貯金はないし、奨学金の返済は...

    2023年9月21日

    中西 哲也

  • 「無」

    価値観の違い

    阪神タイガースが優勝したらしい。父がファンなので、機嫌良くなってくれたら、いいのではないかと思う。祝っている最中に、大変恐縮なのだが、あのいわゆる「虎吉」さんたちは、どうしてあそこまで熱くなれるのだろうと、小さい頃から思ってきた。同じように、同年代の妻子持ちが、どうしてあそこまで、レジャーに熱を入れることができるのだろうと思っている。あそこまで「生きがい」にできるものが見つかれば、「生きる意味」な...

    2023年9月14日

    中西 哲也

  • 教育

    研究者と教育者

    私は、かつて「若手研究者」と呼ばれた立場だったのだが、ただ感覚的に、おのれの経験を踏まえた文章を書きたかっただけだった。そのため、どうしても教壇に立つというイメージが思い浮かばなかったため、現在に至るまで「教育」にはなじめていない。ただ安心しているのは、今「研究者」ではなくなったということだ。それは、私のいわゆるこれまでの放浪の道に違わず、外部から追い出されるという形に近かったのだが。それはともか...

    2023年8月27日

    中西 哲也

  • 私と評論

    捨てる

    私事になるが、明日部屋を整理して、多数の本を捨てようと思う。昨年度捨てたときには、付箋を付けたところを見返すという作業を行ったように記憶している。今回は、今の私に不必要になった理由が頭に漠然と浮かんだので、処分を決定した。「政治」関連の書籍に関しては、最後まで、マックス・ウェーバーやホッブズが気になっていた。ウェーバーは精神を病んでいたようだし、歴史研究をしているので、やはり残しておきたい笑しかし...

    2023年8月16日

    中西 哲也

  • 私と評論

    生活と芸術

    太宰は、小説を書いて生きていくと決めていたようだ。だから、「斜陽」がベストセラーになったあたりまでは、かなり生活が苦しかったというような話を聞いた。「走れメロス」みたいな物語を書いていながら、友人をだまして、お金を借りたまま返さないといった逸話も聞いたことがある。ちなみに、小林秀雄も、父が亡くなって、生活してゆく必要から、文章を雑誌に載せたというような話だった。いずれにしても、読んでくれるだけの読...

    2023年8月15日

    中西 哲也

  • 私と評論

    自意識と自然

    太宰治は、記憶の限りでは、「津軽」などの作品で、故郷の自然について描写していた。津軽の自然は、容易に人間を寄せ付けないというようなことを書いていたように思う。詳しい解釈はできないし、する気もないが、彼にとって「自然」と出会うことが、大きな問題になっていたことは理解できる。罪深さを抱えた者がかろうじて生きてゆくためには、自然のなかで包まれるしか方法はなかったのだろう。戦後東京に戻って死を遂げるまで、...

    2023年8月15日

    中西 哲也

  • ふりかえる

    自分で自分を褒める

    私は、褒められてうれしかった経験を、思い出すことが、できない。否、必死に消そうとしている。なぜか。精神病院に入っていたときに、褒められて、逆に怒りを覚えたからだ。病院側は、善意なのか、マニュアル的なのか、分からないが、前向きな言葉をかけてくれるのだ。実は、教える仕事をするときには、私も真似している。「普通の人」は、非常に喜んでくれるからだ。申し訳ないが、私は、強制入院させられて、内心では、病院を破...

    2023年8月13日

    中西 哲也

  • 私と評論

    知識と経験

    太宰治の理想が、戦後理想郷を語っていたそうだ。フランスのモラリストを基調とし、自給自足の生活をするというような類であったような気がする。私は今、趣味で田畑を耕しているが、そのきっかけは、知識の偏りすぎていたことに対する反動もある。中学生や高校生だった頃、借りている畑で、鍬を持って土と向き合っていた。その頃を思い出している。なぜ太宰は自給自足が良いと思ったのだろうか。有名な言葉になっているが、戦後太...

    2023年8月9日

    中西 哲也

  • ふりかえる

    他者批判の資格はあるか

    腹立たしい話なのだが、他の人からモラルの悪さを指摘されたことがある。たしか、「9条の会」が開かれたときに、私が署名しなかったというのが、事の発端だったと思う。私が署名しなかった理由を答えたのだが、そもそもその署名を求める書類を書いた方は、決して強制していなかった。私の言い返し方に問題があったらしく、その後あるおふたりから、ああいう言い方は良くないというような、上から目線で、おしかりを受けたのだ。し...

    2023年7月21日

    中西 哲也

  • 教育

    学びの意義

    私は、学んだことによって、他者を知り、また自己をも知ることができるようになりつつある気がする。別にコミュニケーション能力が高いというような類いではない。どういう人なのかが、読み取れるようになったのだ。申し訳のないことを言うが、やはり社会に出てから、読書していない人は、すぐに分かるのだ。指示を受けないと、何をすれば分からず、行動や発言も深い洞察力に裏付けられていない。一番嫌なのが、個々人に才能がある...

    2023年7月19日

    中西 哲也

  • 教育

    なんて奴等だ

    最近思ったのだが、まじめなタイトルを書籍につけてしまったもんだ。おそらく、自分が積み上げてきた、研究のスタイルから、まだ離れることが完全には出来ていなかったのだろう。しかし、「知識」から決別するきっかけになったことだけは、間違いない。売れなかろうが、前に進むためには必要だったのだ。そんな自分中心的な文章だから、たしかに、他者から共感されることは難しいだろう。言いたいことがあっただけなのだ。今後どこ...

    2023年7月4日

    中西 哲也

  • 文体

    作家との共感

    人間社会で、同じ想いを共有できる人なんていないように思えてきたこの頃。高橋源一郎の「戦争」に関する本を読んでみた。高橋さんは、昔吉本隆明に「現代の太宰治」と呼ばれていたが、正直、ラジオ番組の語りを聞いても、別に感銘は受けない。しかし、書籍の中には、思ったより参考になる話があった。正確な話ではないが、戦前に朝鮮半島で生まれた作家が、幼い頃の記憶を思い出そうとするという内容であったと思う。おのれの記憶...

    2023年6月19日

    中西 哲也

  • 人生

    いかに生くべきか

    いきなり暗い話で恐縮だが、統合失調症と診断された頃は、いまにも死にそうだった。どのように死ぬかが問題であった。今は、どのように生きてゆくかが、大問題になった。あまりにも漠然としているので、具体的に考えてみた。学習塾を大きくするという案。どう考えても、大手予備校に正社員で働いても、個人的な性格上、怠けようとするだろう。割に合わないからだ。しかし、自分が運営に関与するような環境であれば、積極的に動いて...

    2023年6月2日

    中西 哲也

  • 日本的なるもの

    自然と出会う

    太宰治の「津軽」を読んだ。太宰の帰郷は、10年ぶりくらいだったそうだ。実は、読み始めたときは、いっこうにおもしろくなく、あまり気乗りしなかった。津軽の文句なのではないが、地域のことを詳しく知ろうとしているわけではないからだ。しかし、たしか太宰自身が最初あたりで書いていたように記憶しているが、彼は「愛」について探究しようとしていた。その言葉を信じて最後まで読んでみた。太宰が故郷について書こうとしたの...

    2023年5月28日

    中西 哲也

  • 太宰治

    妻から見た夫

    太宰治の再婚相手が、太宰について回想した著書を読み終えた。身近にいた人間が、「作家」太宰の「実生活」を詳細に語っている点で、非常に貴重であった。妻だけというより、他の人も妻に同感するかもしれないが、偉大な作家の実生活に関する評価は、かんばしくはない。具体的に言えば、「主観のかたまりのような人」で、「矛盾だらけ」であったそうだ。妻の証言によれば、現実に起こった出来事は、太宰の物語とは違っていたそうだ...

    2023年5月16日

    中西 哲也

  • 太宰治

    傑作

    太宰は、自分が生きる意味とは、後期に「傑作」を残すことにあるのだと考えていたふしがある。『晩年』を上梓する前、おそらくは死ぬ気で書いていたのだろう。しかし、彼が語っていたように、どうしてもこの処女創作集では死にきれなくなったようだ。残されている彼の手紙では、「早く死にてえ」というような表現が見られるが、早く傑作を書きたいという叫びであるように聞こえる。それゆえ、「小説」=「遺書」のように映るのは、...

    2023年4月17日

    中西 哲也

  • 私と評論

    わかりやすさと自画像

    お前の文章はわかりにくいとは、よく言われてきた。そのとき、それではお前の文章はそんなにいいものなのかと聞けば、その場では気分が晴れた気にはなるだろう。人間とはその場で勝てばそれでよいとするものだと、太宰治が『人間失格』で指摘している。そうではなく、「傑作」を残して死ぬのだ、そのように決めた者の覚悟は、やはり何か違うと感じた。それが、生活面では不能者と言えるかのような人物であっても、だ。ところで、学...

    2023年4月15日

    中西 哲也

  • 太宰治

    生のなかに死をおさめる

    今更ながらではあるが、処女作を書いていて、一番ひっかかっていたのが、タイトルにある言葉だった。ビクトール・フランクルの言葉では、死を自分のものとするというような感じだったと思う。戦中から戦後を生き切ったものたちであるからこそ、説得力をもつことができたような言葉である。若輩者が吐いたところで、やはり話題にもならなかったが、医学的には幻聴・幻覚といえるような症状がおさまることがないため、「死」への衝動...

    2023年4月12日

    中西 哲也

  • 太宰治

    「真実」を求めて

    最近、東郷克美『太宰治という物語』を読んだ。私の現在の狙いは、かっこよく言えば、日常生活を営みながら、新たな「文体」を模索してゆくことだ。そのような意識をもって、同書を読んだ。改めて自分の処女作を見直すと、研究生活の影響があったためか、まだ文章がかたいようだ。まだまだ理屈っぽいようで、読者からは「読みにくい」という感想しか頂戴していない。東郷によれば、太宰は「転向」後、「話体」の表現に明確に移行し...

    2023年4月6日

    中西 哲也

  • 太宰治

    小林秀雄と太宰治

    発狂したと診断されて、太宰のように強制入院を経験して、7年経ってようやく処女作にこぎつけた。「死」をおのれのものとするというか、「死」をおのれの「内」におさめるとでもいうか。処女作では、生きて作品を残すために、戦後日本を生きた小林秀雄の議論を読み込むところから始めた。出版後、太宰の中期的な「小市民」的生活を送っているが、どうしても前述した「課題」を達成することができそうにもなくなってきた。幻聴・幻...

    2023年4月4日

    中西 哲也

  • 人生

    どこが違うのよ

    自分を客観化するには、どうするべきか?大学院で他の人と対話して、別の視点があることを知る。多角的に考える。知識をつけるだけでなく、「思考の枠組み」を鍛えた。だから、抑止論という専門分野に取り組んだ経験は、日常生活で「モンスター・ペアレンツ」とたたかうときにも、存分に発揮されている。しかし、学問を生活経験に生かすというのは、やはり小林秀雄が言うように、本筋ではないようだ。教育において、保護者対応や生...

    2023年4月3日

    中西 哲也

  • ふりかえる

    予測しなさいよ

    学習塾を手伝っていたとき、保護者さんと雑談していたら、ある方から、今の状況を予測できなかったの、と聞かれたことがある。物書きをしていることが最優先だったので、健全なる生活を送ることができていなかったのだ。私は、今でも信じて日々を過ごしているので、後悔はしていない。ただ、おもしろいのは、予測しすぎるのもよくないということだ。高校野球は、最終学年まで続けることはできなかったが、もしかしたら先を見すぎて...

    2023年4月3日

    中西 哲也

  • 統合失調症

    生まれてすみません

    悪いことに、精神病的症状というのは、いったん発症すると、「完治」するということはないようだ。これは、精神病院につとめるお偉い先生方が患者を観察して、冷静に他者分析したという類のものではない。最初からおかしかったんだとしか言いようがない。悲しくなる。学習塾で入会希望の問い合わせが、時期的な影響があって、微増している。普通は喜ぶんだろうが、うれしくない。病気の先生が指導しているのが申し訳ないというのも...

    2023年3月31日

    中西 哲也

  • 教育

    科学的とは何か

    昔、仕事関連でお世話になった保護者さんが、顔を合せても、よそよそしい。ブログの内容を見ていただいたのだろうから、仕方ないとは思う。「頑張って生活しているんだよ」という人にとっては、聞き苦しい話なんだろう。売れなかろうが、結婚するよりも表現したいと考えている者は、常識ある社会人からすれば、「変人」なのだろう。しかし、こらえてきたものが、「爆発」しているだけなのだ。よくここまで我慢してきたと、自分で自...

    2023年3月29日

    中西 哲也

  • 人生

    計算

    サッカーや野球で、選抜メンバーを選ぶとき、監督は、どういう基準で行っているのだろうか。よく日本代表レベルだと、日本国中で話題となるため、賛否両論が聞かれることがある。監督は会見で、あの選手を選ばなかった理由は何かと、尋ねられている。たとえ実力があったとしても、ポジションが重なっているときや、コンディション、それから戦術理解の問題から、選考漏れする選手があらわれるのだ。高校のとき野球をしていたが、ど...

    2023年3月18日

    中西 哲也

  • ふりかえる

    共通理解の醸成

    今日、昔の研究会の話が、頭から離れなかった。研究会で話を振られて、つい話しすぎたことだ。公開論文ゼロの私が、研究者に質問するのは、失礼だろうと、マジメに考えていた頃の話だ。国際政治の左派と右派は、共通理解に達することが可能かどうかについて、マジメに考えていた頃の話だ。そんなことは、今どうでもよくなって、お偉いさん方にお任せしようと思っている。核ミサイルを持たない日本が、非友好国に囲まれた状況におい...

    2023年3月16日

    中西 哲也

  • ふりかえる

    お金と縁

    お金は好きだが、専門的に突き詰めて考えるほどのものではないと考えていた。そろばんを教える手伝いをしているのに、たいへんまずい話なのだが、お買い物ではほとんどお釣りなど、計算していない。値引きの計算も、面倒くさくてしていない。その結果、屋台などで、お金の計算を間違えて、損をしたことがある。自分のことになると、あまり思い出したくも、言いたくもないほどだ。しかし、他人のお金にまつわるエピソードを聞くのは...

    2023年3月13日

    中西 哲也

  • 絶望

    信頼

    有名な作家というのは、読者からの「信頼」を得たといえるのだろう。ただ、私の好きな作家や画家が、社会的な信頼を得ていたとはいえないことも知っている。別に、すすんで悪い人間になろうとは、もちろん思っているわけではない。しかし、真面目にやっていることが、馬鹿馬鹿しくなるのは、なぜなんだろうか。社会との不調和?昔人に言われて、私自身もそらそうやなと思ったのが、「ちゃんと働きよ」ということだった。たしかに、...

    2023年3月12日

    中西 哲也

  • 人生

    自己反省がない

    頭のいい人たちは、なかなか謝らない。文科省の『学習指導要領』は、新しくなったとはいうものの、その理由を「時代」に押し付けることはできないだろう。批評家の小林秀雄からすれば、戦後という時代は、西洋近代の合理主義がいきすぎた時代であった。その時から、情操教育を唱えて、主体的に考える、そして「創造」することの意義を唱えていた。小林が指摘していたように、外部の観察ではなく、もっと内面を見つめるべきだったの...

    2023年3月11日

    中西 哲也

  • 文体

    祖母のこと

    このたび、祖母が施設に入所することになった。入所できるだけでも、このご時世では、たいへんのことのようだ。要介護のレベルとか、コロナの件など、もしかすると関係しているのかもしれない。私は、日々介護していたわけではないのだが、話を聞くだけでも、疲れてくる。もう私の顔や名前も、祖母は忘れてしまっていた。思い出すのは、もう一人の祖母が、脳関連で車いす生活を続けていた姿だ。だいぶ前に亡くなったのだが、施設に...

    2023年3月6日

    中西 哲也

  • 文体

    生活と芸術

    今日、電車に乗っていると、精神病院でお世話になった職員さんを見かけた。「お世話になった」とは表面上は言うものの、強制的に入れられて、病院から脱走しようとしていた私からすれば、当時は「敵」にしか見えなかった。声をかけることはしなかったが、あれから8年も経つのに、まだ勤務されているのだなと思った。このように、今は良いように言えば、一種の「超越的」な感じになりつつある。ただ、それは、単に時が経って、過去...

    2023年3月4日

    中西 哲也

  • 教育

    そろばんの意義

    そろばんを教えていて、何の意味があるのだろうと、よく考える。子どもの頃にやっていて、大学院生のときに、少し手伝っていた。そのときは、丸付けくらいのものだった。そのため、やはり生徒が親に、教室に「おっさんがおる」みたいなことを言っていたようだ。そのときよりも手伝うようになったきっかけは、「リハビリ」であった。母に言われて嫌な言葉は、最近は「正常」に戻りつつあるようね、という言葉だ。精神科医みたいな表...

    2023年2月22日

    中西 哲也

  • ふりかえる

    自己を語るということ

    自作を語るわけではない。今後の「文体」について考える、そういうきっかけでしかない。なぜ書くのか?別に与えられた問題など解きたくて、学問をしているのではない。それはもういい。「研究者失格」という肩書きは、「芸術」や「創作」に向かうしかない。東郷克美『太宰治という物語』の最初だけ読み終わったところだ。東郷は、太宰がどうして作家になろうとしたのかについて、太宰作品を読み解きながら、「転向」の意義について...

    2023年2月21日

    中西 哲也

  • 人生

    デジタルとアナログ

    現代社会の大きな課題は、デジタルとアナログだと思う。この問題自体は、すでに多くの論者が書いていることなのだから、門外漢があれやこれやと言う必要はない。私がこの問題について言いたいことは、私が身近に感じたことから、これから生きてゆこうとする方向性について探るという姿勢である。予備校で現代文の問題を解説する時、必ずデジタルとアナログの問題が取り上げられているが、それは日本の問題そのものだからだ。日本が...

    2023年2月17日

    中西 哲也

  • 絶望

    何のための学問か

    最近、女性の国際政治学者が、夫のビジネスの影響を受けて、メディアへの露出を控えているというニュースを知った。私は、もう外の出来事に関心がなくなったので、そのことについて、とやかく言うこともないし、そんな権利も持ち合わせていない。ただ、以前に国際政治関連の論文を書いたことがあるので、このニュースが目にとまっただけのことだ。私が言うまでもなく、生真面目そうな人が、忠実に学問をせずに、お金目当てでメディ...

    2023年2月13日

    中西 哲也

  • 絶望

    湧きあがるもの

    私の内面から湧き上がってくるものがあった。それは、表現しがたいものであった。一番適切な表現は、もしかすると、「自分とは何者か」になるのではないか。それは、「問い」である。それは、普遍的な問いである。そんなものは、皆思っていることでしょ、と言われそうである。たしかに、その通りだ。その問いを、内に秘めながら、日常生活をこなすことができる方が、「常識的な社会人」として活躍されておられるのであろう。それで...

    2023年2月8日

    中西 哲也

  • ふりかえる

    内なる他者

    昔、精神科医・斎藤環の本の中で、「内なる他者」と出会うという言葉を知った。たしか、「ひきこもり」問題について述べられていた箇所で、その原因の説明に焦点が置かれていたように記憶している。私の関心に沿って、斜め読みさせてもらったのだが、誤解を恐れずに言えば、斎藤環は、「ひきこもり」の問題点だけでなく、それを理解した上で、「創造性」にまで高めてゆくという意識を有していたように思う。「ひきこもり」の結果、...

    2023年1月30日

    中西 哲也

  • 人生

    しょーもね

    軽いタイトルになってしまったが、文章を書いているときに、何かに取り憑かれているようになっていると、他のことなど全く眼中になくなる。そのため、昔はほとんどそれ以外のことは意識していなかったのだが、日常生活を送ることに注力せねばならなくなって、別にしたくもないことをしていると、タイトルのような感情に、どうしてもなってしまうのだ。それば、売れている作家であれば、やはり名文家は世離れしている人だと、逆に誉...

    2023年1月24日

    中西 哲也

  • 教育

    めぐりめぐる

    くだらない話なので、1回でまとめたいと思う。因果応報とはよく言ったものだが、生徒に教えていると、過去の自分の体験と似た構造が頭に浮かんでくる。アナロジーとでも言うのだろうか。テナントを借りる前に、自宅で教えていた時、2台分の駐車場を借りていたが(父の車を入れると3台分)、それでも足りない時間帯があった。間の悪いことに、保護者さんが別の駐車場に駐めて待機していて、借り主と鉢合わせてしまうという出来事...

    2023年1月21日

    中西 哲也

  • ふりかえる

    占いと学問

    何度も繰り返して申し訳なく思うが、研究が行き詰まったのが、評論の始まりになった。それは、今から振り返ると、自分という人間とは何者かを知る、大きな転機であったのだが、当時は、お先真っ暗という感じであった。うすうすと学者のやっていることや人となりに、うさんくささを感じつつも、学びながら将来飯を食っていきたいということに対して、淡い期待を抱いていたのも確かである。今から考えると、自分を知らなかったのだな...

    2023年1月12日

    中西 哲也

  • ふりかえる

    思いがけず

    人生においては、思いがけないことが起こりえます。今回は、そのことについて話しますが、微妙な問題です。話したいんだけれども、知られてほしいとは思わないというような感じです。スティーブ・ジョブズが述べているように、今自分がしていることが将来につながることを信じるべきなのですが、彼自身がそうであったように、点と点がつながったと分かるのは、将来のことだということは、もどかしい限りです。つまり、やっているこ...

    2022年12月18日

    中西 哲也

  • 教育

    自己肯定と自己否定

    ここに辿り着くまでに、紆余曲折があった。そろばんを教えるのを手伝うといっても、大学院生だった時に、手伝っても嫌になって、やめて、また戻るの繰り返しだった。また、教える仕事とはいっても、姉や弟のように、学部生だった時に教えた経験があるわけでもない。柄ではないと思っていたからだ。それは、私の過去を知る学校の先生が、今の私を見ても、ほんまかいなという気持ちになるだろう。同級生たちは、私が真面目だと勘違い...

    2022年11月29日

    中西 哲也

  • 教育

    学ぶということ

    兄弟・姉妹でも、性格や能力は異なるものだ。親は、日ごろから子どもとどのように接しているのだろうか。私には、子どもがいないし、結婚もしていない。ある保護者から、子どもは宝なんですよ、と言われたことがあった。そのあたりにいる親は、子どもを自分と同一化して、愛している。自然な感情なのだろう。しかし、冷静に、客観的に、親は自分の子どもを見るべきなのではないかと思うことがよくある。というのも、明らかに学習の...

    2022年11月28日

    中西 哲也

  • 私と評論

    対象に入り込む

    評論に本格的に取り組む前に、博士論文や投稿論文をボツにされた。その時は、失格者の烙印を押されたような気がしていたが、小林秀雄や太宰治を読むことで、前に進むことができた。客観的に見た時、私の言葉は、「負け犬の遠吠え」のように聞こえるかもしれないが、私は、これで本当によかったと思っている。将来、太宰について本をまとめたいと考えているが、彼は「脳病院」の体験を通じて、主観と客観の問題について深く問うこと...

    2022年11月27日

    中西 哲也

  • 私と評論

    苦悩

    太宰論においてほとんど共通認識となっているのは、太宰作品が、自他の認識の相違に焦点を当てているということだ。彼の作品や登場人物に多くの人が感情移入できるのは、「道化」という言葉に象徴されるように、仮面をかぶって日常生活を送っている側面が、誰にでもあるからなのだろう。しかし、太宰治の本当の魅力は、私からすれば、学者や評論家批判にある。『人間失格』と並行して書かれた随筆には、フィクションではなく、作家...

    2022年11月26日

    中西 哲也

  • 私と評論

    前田英樹『批評の魂』

    今回は、前田英樹『批評の魂』(新潮社、2018年)を取り上げます。前田が取り上げている批評家は、主に小林秀雄ですが、河上徹太郎も出てきます。そして、同書の軸は、小林が、自然主義文学者の正宗白鳥との論争から、その白鳥の思想に理解を示すに至る過程です。前田は、丹念に小林の著作の核心を説明してくれているため、非常に読んでいて楽しかったです。以前に前田の本を取り上げたのですが、しっかりと小林の著作を読み込...

    2022年11月13日

    中西 哲也

  • 私と評論

    浜崎洋介『反戦後論』

    今回は、浜崎洋介『反戦後論』(文藝春秋、2017年)を取り上げます。浜崎は、小林秀雄に関する書籍も出しており、「文芸批評家」として、参考にすべき点が多くありました。今回は、自分の頭を整理するという狙いにくわえて、彼の「評論」の方法についても学んでみたいと思います。今回取り上げる書籍は、彼が長年取り組んできた論考をまとめたものです。そのため、多様な論点が抽出され、考察されているので、正直、現在の私の...

    2022年10月30日

    中西 哲也

  • 太宰治

    「作家」としての課題

    福田恆存や三島由紀夫に関する書籍などを読んでいて、「生活」と「芸術」が文学者に関する中心的テーマとして取り上げられていた。今回は、このテーマが、主観と客観(自分と他者)の問題とどのように関わっているのかについて考える。精神病院に入れられた経験から、太宰治に関心を持ったのだが、彼は率直に「生活がわからないのだ」と言っていた。ただ同時に、そのことが自分の文学の根幹になっているとも述べていたように記憶し...

    2022年10月23日

    中西 哲也

  • 日本的なるもの

    前田英樹『定本 小林秀雄』

    今回は、前田英樹『定本 小林秀雄』(河出書房新書、2015年)を取り上げます。近代批評の礎を築いた小林秀雄の思想について、前田は、小林の著作を丁寧に読み解きながら、解説しています。前田の視角を詳しく解説することはできませんが、私なりの視点から、前田の著作をまとめておきたいと思います。前田の著書の意義は、「何が創造を生むのか」という点について、小林の考えを整理したことにあります。芸術家の独自の「問い...

    2022年10月20日

    中西 哲也

  • 太宰治

    太宰治『斜陽』

    今回は、太宰治の「斜陽」を、ドナルド・キーンの解説を参考にしながら読み解き、その意義について考えてみたいと思います。なお、『ドナルド・キーン著作集』は、第1巻と4巻を参照しました。『斜陽』は1947年に出版されましたが、翌年6月に太宰は自殺しています。同作品の主人公は、「没落貴族」で、まさに敗戦後の時代情勢に合致したものであったことも影響して、反響を呼んだそうです。さらに深く掘り下げると、外国出身...

    2022年10月17日

    中西 哲也

  • 私と評論

    「客観性」とは何か

    別に大学教授の文句を書きたいわけではない。ただ、自分が研究から評論に向かうにあたって、かつて自分が目指していたものとは何だったのか、また自分には肌が合わなかった理由は何かについて、改めて整理しておくことが必要だと感じた。個人的には、大学教育の魅力は、学位ではないと思う。というのも、私自身が、博士を単位取得満期退学しているのに、正社員として社会に貢献していないからだ。「費用対効果」から見た場合、私に...

    2022年10月10日

    中西 哲也

  • 私と評論

    「科学」批判のきっかけ

    今回は、「科学」批判をすることになった、私の経験について書いてみたいと思います。「科学」を信奉されておられる方には、私個人の問題として片付けていただいて、まったく構いません。簡潔にまとめると、それは、すべて学者との出会いでした。博士課程まで進んだので、学者と直接対話する機会を得ることができた点は、ある意味では、貴重な経験だったかもしれません。ただ、結論的に言えば、彼らのような、客観的で、合理的な人...

    2022年10月9日

    中西 哲也

  • 太宰治

    松本和也『太宰治「人間失格」を読み直す』

    今回は、松本和也『太宰治「人間失格」を読み直す』(水声社、2009年)を取り上げます。以下では、同書の全体の構図を把握した上で、その論理を抽出し、それを批判的に検討します。まず、松本が批判の対象としているのが、“太宰治神話”です。簡潔に言えば、太宰治の「死」の謎は、彼の作品を読み解くことで解明することができるという考えです。そのため、彼の作品は、彼の実人生と照らし合わせて解...

    2022年10月9日

    中西 哲也

  • 太宰治

    作家と作品

    私は、軽い男のくせに、へんに堅苦しいところがあって、最初の著書は、ちまたに出回っているような内容が薄い本にはしたくないと考えていた。ただ、実際にその通りの形にしてみたが、評判はかんばしくない。引用文が多いからである。私は、自称「文芸評論家」として表現していきたいと思っているのだが、結局、所詮は「理論」から学問の世界に入らねばならなかった男なのだ。私の「核抑止」に関する学術論文は、理論的な枠組みを理...

    2022年10月4日

    中西 哲也

  • 私と評論

    生活経験から学問を立ち起こす

    タイトルの言葉は、拙著でも引用していますが、小林秀雄が語ったものです。今回書きたいことは、生活経験を見つめることから学ぶという姿勢が大事なのだということです。それが、研究から評論に進む際に、私が強く感じたことです。前回述べたように、学者は、一般の人よりも、たくさんの本を読んで意見を出している場合が多いです。自分の研究が、もちろん個人的興味・関心から出発しているにしても、社会に役に立つような発明や発...

    2022年10月3日

    中西 哲也

  • 私と評論

    「自己弁護」が目的ではない

    別に大家でもないのに、大仰なタイトルをつけたものですが、太宰治の随筆を読んで、私自身が表現方法について見つめる機会を得ることができました。今回の目的は、太宰論を展開することではなく、私自身の経験を踏まえて、彼がどのような思いで随筆を書いたのだろうかと、思いを巡らせることです。まず、私が太宰に興味を抱いたのは、私が彼と同じく、精神病院に強制入院させられたからです。それでは、その経験は、彼にとってどの...

    2022年10月2日

    中西 哲也

  • 太宰治

    齋藤孝『超訳 人間失格』

     今回は、齋藤孝『超訳 人間失格―人はどう生きればいいのか』(アスコム、2020年)を取り上げます。太宰治の名著『人間失格』が、齋藤孝によって丁寧に解説されています。この記事では、同書のあらすじを踏まえながら、重要な論点を整理してみたいと思います。 どの解説書でも指摘されているように、『人間失格』の主人公・大庭葉蔵は、人間の生活を理解できずに、おびえていました。葉蔵は、人間とのつながりを何とかつな...

    2022年9月18日

    中西 哲也

  • 太宰治

    『対照・太宰治と聖書』

     今回は、鈴木範久・田中良彦『対照・太宰治と聖書』(聖公会出版、2014年)を取り上げます。とくに「利用にあたって」と「解説」を読んで、太宰治と聖書に関する論点を、私なりに整理しておきます。 まず、太宰がもっとも重視した聖書の言葉は、「己を愛するのと同じように、隣人を愛せ」というものでした。つまり、自己と他者を対等に置くことができるかどうかが、太宰にとって大きな課題なのでした。太宰が自覚していたよ...

    2022年9月5日

    中西 哲也

  • 太宰治

    東郷克美『太宰治の手紙』

     今回は、東郷克美『太宰治の手紙』(大修館書房、2009年)を取り上げます。東郷は、太宰の手紙を検討して、太宰が自殺した理由について述べています。私は、とくに太宰の戦後の手紙に着目して、東郷の考えを紹介したいと思います。 太宰は、戦後「パンドラの匣」という作品で出発しました。これとその後の作品で書かれていた点は、太宰の手紙の内容と一致しています。具体的に言えば、太宰の理想とは、罪を自覚した者たちが...

    2022年8月16日

    中西 哲也

  • 太宰治

    斉藤利彦『作家太宰治の誕生』

     今回は、斉藤利彦『作家太宰治の誕生―「天皇」「帝大」からの解放』(岩波書店、2014年)を取り上げます。斎藤は、日本が太平洋戦争に向かい、そして敗北したという時代背景を踏まえて、太宰治という作家個人の思想を考察しています。 まず、そのような時代背景における特徴は、「家族国家」体制でした。それは、私生活の「家父長制」を基盤として、国家権力の天皇を父として崇めるというものです。とくに太宰の生家は、浄...

    2022年7月4日

    中西 哲也

  • 太宰治

    三谷憲正『太宰文学の研究』

     今回は、三谷憲正『太宰文学の研究』(東京堂出版、1998年)を取り上げます。太宰の『人間失格』が『如是我聞』と並行して書かれたことを踏まえて、志賀直哉批判との関連についても、三谷は説明しています。以下では、三谷の研究を参考にしながら、私なりに、戦後の太宰の動きを整理してみます。 一方で、三谷が経緯を詳細に検討しているように、当初太宰は志賀の文学を、幸せな生活に感謝することを書いた「不滅の文学」と...

    2022年6月16日

    中西 哲也

  • 太宰治

    太宰治の「桃源郷」

     前回は、安藤宏の書籍を取り上げましたが、今回は、安藤の議論を基礎として、太宰治が理想とした「桃源郷」とは何かについて考えます。参考資料は、安藤宏「太宰治と現代―「自己の内なる天皇制」」(『文藝別冊 KAWADE ムック 永遠の太宰治』河出書房新社、2019年)です。 簡潔に言えば、それは、天皇を倫理の儀表に据えて、個人が罪を自覚して、己を愛するように他者を愛するようになることです。この構想の背景...

    2022年6月9日

    中西 哲也

  • 太宰治

    安藤宏『太宰治 弱さを演じるということ』

     今回は、安藤宏『太宰治 弱さを演じるということ』(筑摩書房、2002年)を取り上げます。安藤は、奥野健男が指摘した「罪の意識」ではなく、「関係」によって太宰文学を捉えようと試みています。それは、簡潔に言えば、「悲劇の英雄」というよりも、むしろ「関係の悲劇」でした。以下では、この安藤の視角を確認しながら、太宰治の前期・中期・後期を整理していきます。 安藤によれば、太宰の最大の特徴は、他者との間に「...

    2022年6月3日

    中西 哲也

  • 太宰治

    福田恆存『芥川龍之介と太宰治』

     今回は、福田恆存『芥川龍之介と太宰治』(講談社、2018年)を取り上げます。検討対象である福田の論考は、太宰治論なのですが、それは太宰本人と同時代に書かれたものです。それでは、福田はどのように太宰をみていたのでしょうか。 まず、以下の事実について確認しておきましょう。福田の最初の論考が発表されたのは、太宰が入水自殺をした1948年6月で、彼の死後に2本目が発表されました。当然ながら、福田の2つの...

    2022年5月15日

    中西 哲也

  • 人生

    五木寛之『無意味な人生など、ひとつもない』

     今回は、五木寛之『無意味な人生など、ひとつもない』(PHP研究所、2017年)を取り上げます。私の問題関心に沿って、「生と死」に関する論点を整理していきます。すでに考察した通り、朝鮮半島からの引き揚げ経験を有する五木は、今日の自殺者の増加に警鐘を鳴らして、この問題に対してどのように取り組むべきかについて考えています。 五木によれば、自殺者の増加を抑えるためには、「死」に直面する経験をして、各自が...

    2022年5月11日

    中西 哲也

  • 絶望

    頭木弘樹『絶望名言 2』

     今回は、頭木弘樹・NHK〈ラジオ深夜便〉制作班『NHKラジオ深夜便 絶望名言 2』(飛鳥新社、2019年)を取り上げます。先日、「中西哲也の書評」で、『絶望名言』を取り上げたのですが、絶望を表現にまで高めるには、おのれの「弱さ」や「悪」を自覚する必要があるという結論に至りました。今回は、この結論を踏まえて、「創造性」に関する論点を整理したいと思います。 まず、同書の中で、ディレクターが、次のよう...

    2022年5月5日

    中西 哲也

  • 太宰治

    細谷博『太宰治』

     今回は、細谷博『太宰治』(岩波書店、1998年)を取り上げます。太宰治に関しては、このブログですでに考察してきましたが、彼の作品をどのように読むかについて、同書は興味深い視点を提供してくれています。それは、「大人の読み」です。私なりに説明すると、読者が自分の経験に照らして、太宰の作品を読むとき、自己をどのように意識するかということです。 細谷が指摘するように、太宰は、自分の経験を基にして作品を書...

    2022年5月3日

    中西 哲也

  • 太宰治

    加藤典洋『敗戦後論』

     今回は、加藤典洋『敗戦後論』(筑摩書房、2015年)を取り上げます。加藤は、2019年に『太宰と井伏』を刊行していますが、1995年の「敗戦後論」の中で、すでに太宰治について言及していました。それでは、加藤は『太宰と井伏』で、本格的な太宰治論を展開して、太宰が自殺した原因について考える前に、この「敗戦後論」において、どのように太宰を位置づけていたのでしょうか。 簡潔に言えば、『敗戦後論』では、「...

    2022年5月1日

    中西 哲也

  • 太宰治

    坂口安吾『不良少年とキリスト』

     今回は、坂口安吾『不良少年とキリスト』(新潮社、2019年)を取り上げます。太宰治と同じ「無頼派」として知られている作家の坂口は、1948年の時点で、どのように太宰の死を捉えていたのでしょうか。 結論から言えば、坂口は、太宰の死は彼の「虚弱」によるものだと考えています。坂口によれば、その特質は、「フツカヨイ」であって、太宰は「M・C」(マイ・コメディアン)になりきることができないという点にありま...

    2022年4月25日

    中西 哲也

  • 太宰治

    加藤典洋『完本 太宰と井伏』

     今回は、加藤典洋『完本 太宰と井伏―ふたつの戦後』(講談社、2019年)を取り上げます。加藤は、前回取り上げた猪瀬直樹『ピカレスク』に刺激を受けて、同書を書いたそうです。それでは、太宰治の死に関する猪瀬の仮説について、加藤はどのように考えているのでしょうか。 まず、加藤は、『人間失格』について、「ギリギリのところで、正直に語られているようだ」という印象を持っています。この小説では、「はしがき」や...

    2022年4月21日

    中西 哲也

  • 「無」

    鈴木祐『無(最高の状態)』

     今回は、鈴木祐『無(最高の状態)』(クロスメディア・パブリッシング、2021年)を取り上げます。鈴木は、苦しみのメカニズムを理解した上で、エビデンスに基づいた対策を取るように提唱しています。鈴木は、脳科学や神経科学の最新の成果を紹介しながら、柔軟な思考で変化に対応するには、「観察」の意義を知るべきだと論じています。 まず、鈴木によれば、私たちがなぜ苦しむのかと言えば、「自分が悪かったのではないか...

    2022年4月17日

    中西 哲也

  • 親鸞

    五木寛之『私の親鸞―孤独に寄りそうひと』

    親鸞との出会い 今回は、五木寛之『私の親鸞―孤独に寄りそうひと』(新潮社、2021年)を取り上げます。なぜ五木は親鸞の教えに心惹かれたのでしょうか。もしかすると、戦争体験がなければ、五木の親鸞との出会いは、それほど私たちに感銘を与えるものではなかったかもしれません。 五木は、大日本帝国が敗北して平壌から日本へ引き揚げようとしましたが、その過程で母を亡くしています。もちろん、平壌になだれ込んできたソ...

    2022年4月10日

    中西 哲也

  • 親鸞

    五木寛之『はじめての親鸞』

    五木寛之の親鸞像 今回からは、親鸞について考えていきます。以前に五木寛之の考えを考察しましたが、その中核にある親鸞の思想を取り上げます。初回は、五木寛之『はじめての親鸞』(新潮社、2016年)です。 五木は、次のような親鸞像を紹介しています。「親鸞は人間が好きだった。人に対して深い愛情を抱いていた。にもかかわらず、人になじむことができない」(151頁)。より具体的に言えば、「論理的に詰めていく冷徹...

    2022年3月27日

    中西 哲也

  • 小林秀雄

    人生観(14)

    「政治学」との出会いと別れ 今回は、小林秀雄シリーズの最終回です。私個人の経験から論点を整理して、小林の議論の意義をまとめます。 私は、国際政治学で軍事力の問題について研究していたのですが、「統合失調症」を罹患してしまいました。その後、己の狂気を見つめたという経験に基づいて、自力で「宗教的体験」をなすためにはどうするべきかということについて考え始めました。そこで出会ったのが、小林秀雄の議論だったの...

    2022年2月24日

    中西 哲也

  • 小林秀雄

    人生観(13)

    歴史のなかで直接経験する これまで述べてきたように、「創造」を生み出すという自覚を生むためには、自然と出会う必要があります。なぜかと言えば、「直接経験」を積み、「過去が現在に生きている」という状態になることができるからです。今回は、この点について具体的に説明します。 小林秀雄は言います。「文学者の覚悟とは、自分を支えているものは、まさしく自然であり、或いは歴史とか伝統とか呼ぶ第二の自然であって、自...

    2022年1月21日

    中西 哲也

  • 小林秀雄

    人生観(12)

    描写と観察力の時代 前回説明したように、小林秀雄によれば、表現には自覚が必要です。具体的に言えば、詩が音楽家の創作方法に倣ってつくられるとき、言葉は「感覚的実体」となるのです。なぜ小林がこの点について強調したのかと言えば、以下で説明するように、観察力に基づいて描写が重視されるに伴って、言葉が実体を持たない「記号」となってしまったからです。 小林によれば、「現代は散文の時代である」。散文では、前回説...

    2021年12月27日

    中西 哲也

  • 小林秀雄

    人生観(11)

    どう生きるべきか 前回は、「実在」と出会って運命感を得ることによって、生きてゆく自覚が生まれることを確認しました。今回は、この自覚が生まれてはじめて、表現することが可能になるということを指摘します。 まず、小林秀雄は、次のように述べています。「例えば文学上の自然主義とか絵画上の印象主義とかが輸入されるに際し、〔中略〕この芸術家の根本の態度、文学者も画家も、各自の仕事の裡に、人生とは何かという問題を...

    2021年11月21日

    中西 哲也

  • 小林秀雄

    人生観(10)

    「悲劇について」 それでは、「実在」とは何で、どうすれば生きる覚悟を持つことができるのでしょうか。引用が長くなりますが、小林秀雄の論理を追ってゆきましょう。 まず、小林は「悲劇について」において、ドイツの哲学者・ニーチェの議論を踏まえて、「嫌悪すべきものを悉く無条件で肯定する」という「悲劇精神」を摑むには、「勇気を要する」と強調しています。「必然的なもの」を進んで愛するという「思想には、合理的な説...

    2021年11月8日

    中西 哲也

  • 小林秀雄

    人生観(9)

    「中原中也の思い出」 今回は、小林秀雄の「無私の精神」の論理を確認した後で、その論理に沿って、詩人の中原中也について書きます。これまで説明してきたように、小林によれば「無私」とは、「内的経験」をして“主客未分化”の状態になることです。 「無私」の状態とは、おのれの悲しみを見つめて、自然や歴史(時)、そして神という「実在」に出会うことです。言い換えると、「実在」と出会うことが...

    2021年10月31日

    中西 哲也

  • 小林秀雄

    人生観(8)

    何のために学ぶのか 今回からは、“生きるために過去を直視する”にはどうすべきなのかについて、小林秀雄の論理を検討していきます。まず、この〈小林秀雄〉編の初回記事で書いたように、私の問いは、学術研究をしていた私が、精神病院に入れられて「狂人」になったのはなぜかということです。 私は、学術研究をしていた時に、次のようなことに関心を有していました。それは、「軍事力」の意義とは何か...

    2021年9月18日

    中西 哲也

  • 小林秀雄

    人生観(7)

    知覚を拡大するとき、人は沈黙する 前回指摘したように、小林秀雄が支持するのは、日常生活から出発して思想にまで高めるという論理です。ただ注意すべきは、この論理が、「社会生活の実践的有用性の制限から解放される事」によって確実になるということです。今回は、この“逆説”について詳しく検討していきます。 まず、小林は、「リルケにロダンを語った美しい文章があります」と述べて、以下のよう...

    2021年8月5日

    中西 哲也

  • 小林秀雄

    人生観(6)

    「生活」と「思想」 前回は、宮本武蔵の「心眼」について説明しました。その内容を踏まえて、今回は、小林秀雄「私の人生観」における、生活と思想・芸術の関係について考えます(小林秀雄『人生について』中公文庫、2019年)。 小林によれば、武蔵は「経験尊重の生活から、一つの全く新しい思想を創り出す事に着目した人」でした。まず、武蔵の「思想」とは、勝つという行為です。そして、自分を勝たせたのは、「自分の腕の...

    2021年7月30日

    中西 哲也

  • 小林秀雄

    人生観(5)

    宮本武蔵の観法 今回は、引き続き小林秀雄の「私の人生観」(小林秀雄『人生について』中公文庫、2019年)より、宮本武蔵の思想を取り上げます。小林は、これまで検討してきた「観法」の論理に基づいて、武蔵の「心眼」について論じています。 今回は、引用が多くなりますが、小林の指摘から重要な論点を引き出しましょう。 「宮本武蔵の独行道のなかの一条に『我事に於て後悔せず』という言葉がある」(小林、前掲書、39...

    2021年6月3日

    中西 哲也

  • 小林秀雄

    人生観(4)

    空観 前回は、小林秀雄の議論に基づいて、仏教が審美性を持ち得た要因が「観法」にあることを説明しました。今回は、仏教の「空観」とその意義について説明した後で、「空観」と「科学」の違いと、その背景にある釈迦とキリストの違いについて説明します。 「仏教の思想を言うものは、誰でも一切は空であるという、空の思想を言います」。「空の問題にどれほど深入りしているかを自他に証する為には、自分の空を創り出してみなけ...

    2021年5月21日

    中西 哲也

  • 小林秀雄

    人生観(3)

    「観法」 今回は、自力で「宗教的体験」をするということについて、さらに具体的に考えていきます。取り上げるのは、小林秀雄「私の人生観」(『人生について』中央公論新社、2019年)です。仏教の「観法」が創造性の源泉だというのが、小林の議論の核心です。 仏教の思想は、「観」という言葉(見るという意味)に価値をおきました。「禅というのは考える、思惟する、という意味だ、禅観というのは思惟するところを眼で観る...

    2021年5月10日

    中西 哲也

  • 小林秀雄

    人生観(2)

    『遠野物語』と白鹿の話 今回は、「信ずることと知ること」を取り上げます。この論考にて小林秀雄は、「宗教的体験」とその意義について、具体的に論じています。筆者なりにまとめると、なぜ柳田国男は『遠野物語』という優れた作品を生み出すことができたのかということが、小林の問題意識なのです。今回は、小林の議論を組み立て直して、彼の考えを明確にします。 さて、小林は、柳田国男の『遠野物語』に出てくる白鹿の話を紹...

    2021年4月12日

    中西 哲也

  • 小林秀雄

    人生観(1)

    小林秀雄の「宗教的体験」 今回からは、「宗教」に関する新たなシリーズに入ります。五木寛之の議論を検討した結果、「宗教的体験」をする重要性を学びましたが、課題は、それを「他力」ではなく「自力」で為すということにありました。このシリーズでは、この点について深く考察していきます。 この課題探究にあたって、小林秀雄の書籍を題材とします。具体的に言えば、『人生について』と『考えるヒント2・3』です。小林の議...

    2021年3月26日

    中西 哲也

  • 五木寛之

    大河の一滴(9)

    「信ずる」ということ 今回は、本シリーズの最終回です。五木寛之の人生論について、その意義と問題点をまとめます。これまで筆者(中西)は、五木の議論の意義を確認した上で、「創造性」の論理との比較を試みてきました。 筆者の問題意識は、「統合失調症」を罹患した後、どうすれば「狂気」を「創造性」にまで高めることができるかということでした。ただ、別の生き方を問うなかで、沖縄戦にくわわった祖父の記録と出会うこと...

    2021年3月9日

    中西 哲也

  • 五木寛之

    大河の一滴(8)

    自分を慰める 前回は、「慰める」ことで「自力」につなぐというのが、宗教の役割であることを説明しました。ただ、筆者(中西)の経験上、「慰める」前提には「悲しみ」があって、その「悲しみ」の根底には「罪の自覚」があります。今回は、これまでの批判的検討を踏まえて、宗教と創造性の論理の違いについて考えたいと思います。 さて、宗教の役割に関して問題となるのは、“自らを”慰めるという場合...

    2021年2月22日

    中西 哲也

  • 五木寛之

    大河の一滴(7)

    〈生きがい〉 前回は、〈悲〉の情感から出発して自然(神仏)とつながるという、五木寛之の論理を確認しました。また、『大河の一滴』の論理は、『他力』と同じく、〈他力は自力の母である〉というものです。そこで今回は、神仏とつながった(他力)後に「自分の内」を省みる(自力)という論理について、批判的に検討します。 さて、『大河の一滴』では、どうすれば自殺を思いとどまることができるかという問題意識に基づいて、...

    2021年2月11日

    中西 哲也

  • 五木寛之

    大河の一滴(6)

    〈悲〉の情感から出発する 前回は、〈いまここに居る〉という現実を見つめるためには、自然と一体になる必要があるという五木寛之の議論を検討しました。それでは、自然と一体になるには、どうすればよいのでしょうか。今回は、その答えとして五木が、〈悲〉の情感から出発するべきだと主張していることを確認します。 まず、五木によれば、コンピューターの世界に象徴されるように、「戦後五十年、私たちが追求してきた世界とい...

    2021年1月25日

    中西 哲也

  • 五木寛之

    大河の一滴(5)

    新型コロナについて 前回検討したように、五木寛之によれば、生命の流れや自然、そして宗教とつながることでこそ、「悪を自覚する」という「意識」が生じます。また、五木によれば、自然と一体になることができれば、おのれに問い、〈いまここに居る〉という現実を見つめることができます。今回は、この『大河の一滴』の論理を批判的に検討します。 ところで、興味深いことに、すでに『大河の一滴』で五木は、現在問題となってい...

    2021年1月17日

    中西 哲也

  • 五木寛之

    大河の一滴(4)

    宗教の論理 今回も、五木寛之『大河の一滴』の論理を批判的に検討します。この目的を達成するべく、改めて、筆者(中西)の祖父の話をしておきます。 すでに説明しましたが、筆者の祖父は、太平洋戦争の沖縄戦を生き抜きました。そして、戦後祖父は、“気が狂い、自殺する”ことなく、仕事・結婚・子育てをこなしましたが、残念ながら、癌を患ってこの世を去りました(拙稿「信ずることと戦うこと」を参...

    2021年1月8日

    中西 哲也

  • 五木寛之

    大河の一滴(3)

    悪を自覚する 今回は、筆者(中西)の視角に基づいて、五木寛之『大河の一滴』を批判的に検討します。具体的に言えば、他力は自力の母である(先に神仏とつながる)という考えに対して、先に悪を自覚するからこそ神仏を感じられるという考えを提起します。 まず、五木は、次のように述べます。「私の心のなかには、理屈にならない太い棒のような感覚があって、それが私に自分を、どうしようもない救いようのない人間、と感じさせ...

    2020年12月30日

    中西 哲也

  • 五木寛之

    大河の一滴(2)

    自殺を思いとどまった理由 今回からは、前回明らかにした視角に従って、五木寛之の『大河の一滴』を読み解いていきます。 さて、本の冒頭で、五木は、次のように告白しています。「私はこれまでに二度、自殺を考えたことがある」(五木寛之『大河の一滴』幻冬舎文庫、1999年、13頁)。誰にでも、こころが「萎える」ときがあります(同上、15頁)。「無気力になり、なにもかも、どうでもいいような、投げやりな心境になっ...

    2020年12月25日

    中西 哲也

  • 五木寛之

    大河の一滴(1)

    『他力』の論点 これまで『人生の目的』と『他力』を検討してきましたが、今回からは『大河の一滴』を検討していきます。今回は、前シリーズの『他力』の論点を再度整理した上で、『大河の一滴』を読み解く視角を明らかにします。 五木寛之の問題意識は、「アイデンティティ」にありました。自己と日本人の「存在理由」はどこにあるのかということが、『他力』を貫く問題意識なのです。 この点に関して言えば、「世界中にただひ...

    2020年12月14日

    中西 哲也