自己紹介とブログの狙い(無料公開記事)

2019年4月13日

自己紹介
 はじめまして。中西哲也と申します。
 ブログを始めるにあたって、まず、簡単に自己紹介をさせていただきます。
 
 私は、大学院で学問的探究を行いながら、教育業界にも携わってきました。
 
 第1に、大学院で「外交史」を専攻して、歴史や政治に関する文献を読んできました。とくに、E・H・カーやマルク・ブロック、そしてジョン・L・ギャディスなど、歴史的な分析手法を解説している歴史家の書物に魅力を感じました。彼らは、「現在・過去・未来」の関係について思索を深めることの重要性を説いています。
 
 後述するブログ執筆の動機や問いとも関連するのですが、世界の歴史に関してこうした分析手法を採用するのであれば、同時に、自分自身の人生の歴史に関しても振り返らねばならないと感じるようになりました。
 
 第2に、教育業界では、大学や専門学校の非常勤講師にくわえて、家庭教師や予備校講師、そしてそろばん塾講師なども経験してきました。
 
 机の上で理屈をこねるだけではなく、自分とは異なる価値観を持つ人たちとも積極的に対話することによって、意思疎通能力が高まったように感じます。他者との対話は、多角的な観点から問題を捉え直し、自分の独りよがりに気付かせてくれるといった効果もありました。
 
 書物やインターネットなどを通して知り得た知識を、自分の経験とも重ね合わせて、人間の“器”を広げてきたつもりでした。
 
ブログの執筆に関わりたいと考えた背景
 ところが、こうした作業を通じて成長していたはずなのにもかかわらず、「ある病気」の発症を阻止することはできませんでした。
 
 実は、私は「統合失調症」を患い、4年前に病院に(強制)入院しました。現在では、日本人の約100人に1人がかかっている病気で、決して珍しくなくなってはいますが、一昔前ですと、表現が悪いですが「キチガイ」と呼ばれていたでしょう。
 
 事実、私もこの病気にかかって、「幻聴」が聞こえてくるだけでなく、対話に支障をきたすようにもなりました。最近、統合失調症が漫画でパロディ化されて問題になったようですが、私も「支離滅裂」な受け答えになりがちでした。
 
 ちなみに、統合失調症の原因については、主に「ドーパミン」が脳内で過剰に分泌されるという点に求められているようですが、「ドーパミン」は「グルタミン酸」の神経伝達とも関係しているとも言われており、未だに解明されていないようです。
 
 広井良典が言うように、精神疾患のような「現代の病」を、「特定原因論」で解決しようとすることには限界があります。ストレスなどの心理的要因のみならず、コミュニティとの関わりといった社会的要因、そして経済的要因などが複雑に絡み合った結果、心身に悪影響が生ずるのでしょう(広井良典『ポスト資本主義』岩波書店、2015年、92-95頁)
 
 さて、本題に戻りますが、私がブログで発信しようと考えた背景には、病気にかかったという体験によって、自分の内側から「問い」が発せられるようになったことがあります。当然ながら、「なぜ私は病気になってしまったのか」という問いは、自分が病気にかかって、「死」に直面するという経験をしたからこそ、いっそう切迫したものとなりました。
 
 切迫した「問い」に対して、自分で「答え」を模索しようという意欲も湧いてきました。私は、医学の進歩にも助けられて、正常な日常を取り戻しつつあります。その過程で、自己の内に潜む「狂気」に心かき乱されつつも、病気の原因について「理性」で突き止めて、乱れた生活習慣や思考力を“元に戻そう”と、もがいてきました。
 
 以上が、私がブログを書きたいと考えた背景なのですが、病気を打ち明けることには、とまどいもありました。しかし、動機は、ブログの方向性を決定づける重要な要素です。ですから、この動機の説明を抜きにしては、ブログに未来はないと考え、正直にお話しすることにしました。
 
「問い」の設定
 統合失調症は、患者によって症状に差があり、依然として原因が未解明の病気です。もちろん、先に紹介した客観的な分析に基づけば、ストレスを解消して、他者と良好な関係を築き、そして金銭面での課題を克服するという方法が、論理的には導かれるでしょう。
 
 そのため、私は、次のような治療法を意識的に取り入れてきました。たとえば、座禅を組んで瞑想をしたり、何気ない日常会話を楽しんだり、徐々に仕事量も増やしてきました。
 
 けれども、もっとも必要なことは、自分と向き合うことなのかもしれません。統合失調症になって一番辛かったことは、自分が「狂っている」ことに自分で気づくときでした。幻聴に支配されるといった「陽性」反応が最初に起こって、薬を服用したあとには、鬱に似た「陰性」反応に苦しみました。ほぼ寝たきり状態になって、私の内面は、きたなく、みじめな感情で、充満していました。
 
 本来、こうした内向的な姿勢は否定的に評価されるのでしょうが、斎藤環は、「孤独」を肯定的に評価し直しています。「孤独のさなか、自己もまた他者にほかならないと悟る経験は、他者へと開かれる第一歩です」(斎藤環『ひきこもり文化論』紀伊国屋書店、2003年、202-208、215-219頁)。
 
 自らの内に他者と出会い、自問自答を繰り返す。そうすれば、他者ありきの自分といった不安定な自我とは対照的に、自己と折り合えてこそ他者とも折り合えるといった、安定した自我を形成できるかもしれません。
 
 少し前置きが長くなりましたが、私はブログにおいて、「自分やその内面を見つめるとはどういうことか」という問いについて書いていきたいと考えています。そして、こうした問いを設定する理由は、自分に向き合うことが「創造性」につながるという「仮説」があるからです。
 
おわりに
 著名な歴史家や思想家、小説家や歌手、そして起業家などは、創造的な行為で歴史に名を残しています。私は彼らの作品や体験に触れて感銘を受けてきましたが、同時に、「彼ら全員に通ずるもの」について探し出したいという欲求も持ち合わせていました。現時点では、「自分との対話」が「創造性」には欠かせない作業だという結論に達しています。
 
 具体的に、今後ブログで取り上げていきたいのは、次のような人物です。たとえば、スティーヴ・ジョブズ、尾崎豊、芥川龍之介、福田恆存、遠藤周作などです。
 
 「まず自分の内面の声に耳を傾けよ」といった言葉は、聞き慣れていて陳腐だと思われるかもしれません。それでも、私自身にとっては、「生きている証」を手に入れられるかのような響きがあります。もしかすると単に、自分の内面を根本的に見つめ直さずに“元に戻そう”としても、ある意味監獄のような病院に再び舞い戻ってしまうのではないかと恐れているだけなのかもしれませんが。
 
 社会のシステムを理解しつつも、それに責任を押し付けることなく、意識を内に向けて、苦難に立ち向かっていきたい。社会との不調和に悩み、精神的な安らぎを求めておられる方に、私のブログが「自分との対話」の機会を生むきっかけになれればと考えています。
 
 
 

関連記事

  • 小林秀雄

    人生観(8)

    何のために学ぶのか 今回からは、“生きるために過去を直視する”にはどうすべきなのかについて、小林秀雄の論理を検討していきます。まず、この〈小林秀雄〉編の初回記事で書いたように、私の問いは、学術研究をしていた私が、精神病院に入れられて「狂人」になったのはなぜかということです。 私は、学術研究をしていた時に、次のようなことに関心を有していました。それは、「軍事力」の意義とは何か...

    2021年9月18日

    中西 哲也

  • 小林秀雄

    人生観(7)

    知覚を拡大するとき、人は沈黙する 前回指摘したように、小林秀雄が支持するのは、日常生活から出発して思想にまで高めるという論理です。ただ注意すべきは、この論理が、「社会生活の実践的有用性の制限から解放される事」によって確実になるということです。今回は、この“逆説”について詳しく検討していきます。 まず、小林は、「リルケにロダンを語った美しい文章があります」と述べて、以下のよう...

    2021年8月5日

    中西 哲也

  • 小林秀雄

    人生観(6)

    「生活」と「思想」 前回は、宮本武蔵の「心眼」について説明しました。その内容を踏まえて、今回は、小林秀雄「私の人生観」における、生活と思想・芸術の関係について考えます(小林秀雄『人生について』中公文庫、2019年)。 小林によれば、武蔵は「経験尊重の生活から、一つの全く新しい思想を創り出す事に着目した人」でした。まず、武蔵の「思想」とは、勝つという行為です。そして、自分を勝たせたのは、「自分の腕の...

    2021年7月30日

    中西 哲也

  • 小林秀雄

    人生観(5)

    宮本武蔵の観法 今回は、引き続き小林秀雄の「私の人生観」(小林秀雄『人生について』中公文庫、2019年)より、宮本武蔵の思想を取り上げます。小林は、これまで検討してきた「観法」の論理に基づいて、武蔵の「心眼」について論じています。 今回は、引用が多くなりますが、小林の指摘から重要な論点を引き出しましょう。 「宮本武蔵の独行道のなかの一条に『我事に於て後悔せず』という言葉がある」(小林、前掲書、39...

    2021年6月3日

    中西 哲也

  • 小林秀雄

    人生観(4)

    空観 前回は、小林秀雄の議論に基づいて、仏教が審美性を持ち得た要因が「観法」にあることを説明しました。今回は、仏教の「空観」とその意義について説明した後で、「空観」と「科学」の違いと、その背景にある釈迦とキリストの違いについて説明します。 「仏教の思想を言うものは、誰でも一切は空であるという、空の思想を言います」。「空の問題にどれほど深入りしているかを自他に証する為には、自分の空を創り出してみなけ...

    2021年5月21日

    中西 哲也

  • 小林秀雄

    人生観(3)

    「観法」 今回は、自力で「宗教的体験」をするということについて、さらに具体的に考えていきます。取り上げるのは、小林秀雄「私の人生観」(『人生について』中央公論新社、2019年)です。仏教の「観法」が創造性の源泉だというのが、小林の議論の核心です。 仏教の思想は、「観」という言葉(見るという意味)に価値をおきました。「禅というのは考える、思惟する、という意味だ、禅観というのは思惟するところを眼で観る...

    2021年5月10日

    中西 哲也

  • 小林秀雄

    人生観(2)

    『遠野物語』と白鹿の話 今回は、「信ずることと知ること」を取り上げます。この論考にて小林秀雄は、「宗教的体験」とその意義について、具体的に論じています。筆者なりにまとめると、なぜ柳田国男は『遠野物語』という優れた作品を生み出すことができたのかということが、小林の問題意識なのです。今回は、小林の議論を組み立て直して、彼の考えを明確にします。 さて、小林は、柳田国男の『遠野物語』に出てくる白鹿の話を紹...

    2021年4月12日

    中西 哲也

  • 小林秀雄

    人生観(1)

    小林秀雄の「宗教的体験」 今回からは、「宗教」に関する新たなシリーズに入ります。五木寛之の議論を検討した結果、「宗教的体験」をする重要性を学びましたが、課題は、それを「他力」ではなく「自力」で為すということにありました。このシリーズでは、この点について深く考察していきます。 この課題探究にあたって、小林秀雄の書籍を題材とします。具体的に言えば、『人生について』と『考えるヒント2・3』です。小林の議...

    2021年3月26日

    中西 哲也

  • 五木寛之

    大河の一滴(9)

    「信ずる」ということ 今回は、本シリーズの最終回です。五木寛之の人生論について、その意義と問題点をまとめます。これまで筆者(中西)は、五木の議論の意義を確認した上で、「創造性」の論理との比較を試みてきました。 筆者の問題意識は、「統合失調症」を罹患した後、どうすれば「狂気」を「創造性」にまで高めることができるかということでした。ただ、別の生き方を問うなかで、沖縄戦にくわわった祖父の記録と出会うこと...

    2021年3月9日

    中西 哲也

  • 五木寛之

    大河の一滴(8)

    自分を慰める 前回は、「慰める」ことで「自力」につなぐというのが、宗教の役割であることを説明しました。ただ、筆者(中西)の経験上、「慰める」前提には「悲しみ」があって、その「悲しみ」の根底には「罪の自覚」があります。今回は、これまでの批判的検討を踏まえて、宗教と創造性の論理の違いについて考えたいと思います。 さて、宗教の役割に関して問題となるのは、“自らを”慰めるという場合...

    2021年2月22日

    中西 哲也

  • 五木寛之

    大河の一滴(7)

    〈生きがい〉 前回は、〈悲〉の情感から出発して自然(神仏)とつながるという、五木寛之の論理を確認しました。また、『大河の一滴』の論理は、『他力』と同じく、〈他力は自力の母である〉というものです。そこで今回は、神仏とつながった(他力)後に「自分の内」を省みる(自力)という論理について、批判的に検討します。 さて、『大河の一滴』では、どうすれば自殺を思いとどまることができるかという問題意識に基づいて、...

    2021年2月11日

    中西 哲也

  • 五木寛之

    大河の一滴(6)

    〈悲〉の情感から出発する 前回は、〈いまここに居る〉という現実を見つめるためには、自然と一体になる必要があるという五木寛之の議論を検討しました。それでは、自然と一体になるには、どうすればよいのでしょうか。今回は、その答えとして五木が、〈悲〉の情感から出発するべきだと主張していることを確認します。 まず、五木によれば、コンピューターの世界に象徴されるように、「戦後五十年、私たちが追求してきた世界とい...

    2021年1月25日

    中西 哲也

  • 五木寛之

    大河の一滴(5)

    新型コロナについて 前回検討したように、五木寛之によれば、生命の流れや自然、そして宗教とつながることでこそ、「悪を自覚する」という「意識」が生じます。また、五木によれば、自然と一体になることができれば、おのれに問い、〈いまここに居る〉という現実を見つめることができます。今回は、この『大河の一滴』の論理を批判的に検討します。 ところで、興味深いことに、すでに『大河の一滴』で五木は、現在問題となってい...

    2021年1月17日

    中西 哲也

  • 五木寛之

    大河の一滴(4)

    宗教の論理 今回も、五木寛之『大河の一滴』の論理を批判的に検討します。この目的を達成するべく、改めて、筆者(中西)の祖父の話をしておきます。 すでに説明しましたが、筆者の祖父は、太平洋戦争の沖縄戦を生き抜きました。そして、戦後祖父は、“気が狂い、自殺する”ことなく、仕事・結婚・子育てをこなしましたが、残念ながら、癌を患ってこの世を去りました(拙稿「信ずることと戦うこと」を参...

    2021年1月8日

    中西 哲也

  • 五木寛之

    大河の一滴(3)

    悪を自覚する 今回は、筆者(中西)の視角に基づいて、五木寛之『大河の一滴』を批判的に検討します。具体的に言えば、他力は自力の母である(先に神仏とつながる)という考えに対して、先に悪を自覚するからこそ神仏を感じられるという考えを提起します。 まず、五木は、次のように述べます。「私の心のなかには、理屈にならない太い棒のような感覚があって、それが私に自分を、どうしようもない救いようのない人間、と感じさせ...

    2020年12月30日

    中西 哲也

  • 五木寛之

    大河の一滴(2)

    自殺を思いとどまった理由 今回からは、前回明らかにした視角に従って、五木寛之の『大河の一滴』を読み解いていきます。 さて、本の冒頭で、五木は、次のように告白しています。「私はこれまでに二度、自殺を考えたことがある」(五木寛之『大河の一滴』幻冬舎文庫、1999年、13頁)。誰にでも、こころが「萎える」ときがあります(同上、15頁)。「無気力になり、なにもかも、どうでもいいような、投げやりな心境になっ...

    2020年12月25日

    中西 哲也

  • 五木寛之

    大河の一滴(1)

    『他力』の論点 これまで『人生の目的』と『他力』を検討してきましたが、今回からは『大河の一滴』を検討していきます。今回は、前シリーズの『他力』の論点を再度整理した上で、『大河の一滴』を読み解く視角を明らかにします。 五木寛之の問題意識は、「アイデンティティ」にありました。自己と日本人の「存在理由」はどこにあるのかということが、『他力』を貫く問題意識なのです。 この点に関して言えば、「世界中にただひ...

    2020年12月14日

    中西 哲也

  • 五木寛之

    「他力」(10)

    〈生老病死〉 前回は、〈悲〉の情感から出発する“前提”として、その情感をどのように見つめるのかという点が核心的であることを指摘しました。「他力」思想では、自己と神仏が一体化するため、ヨーロッパ文明とは異なって、「自分の内」で神仏と出会います。シリーズ最終回の今回は、〈生老病死〉の問題を取り上げて、「自分の内」を省みる際に宗教が入るという問題点について、五木の議論を批判的に検...

    2020年11月30日

    中西 哲也

  • 五木寛之

    「他力」(9)

    「戦争責任」について 五木寛之は、欧米と日本の宗教観の違いを踏まえて、「戦争責任」について総括を行っています。今回は、彼の総括を検討することによって、「他力」思想の論理の“前提”を抽出します。 さて、五木の考察を参考にすると、西洋文明の根底には、その宗教観や世界観を背景として、「外」から「内」へ向かうという客観性の論理が中核にあります。また、個人が神と向き合って契約を結ぶと...

    2020年11月23日

    中西 哲也

  • 五木寛之

    「他力」(8)

    日本人の精神とは何か 今回は、欧米の宗教・世界観に関する前回の検討を踏まえて、五木寛之の「他力」思想の核心的論理を抽出します。近代日本が「アイデンティティの崩壊」に直面している中で、現在求められている「宗教的な感覚」とは、一体何なのでしょうか。 五木によれば、その「宗教的な感覚」とは、次のようなものです。「アジア全体がそうですが、日本人は縄文以来、森や山に生命を感じる、大きな木にしめ縄を張る。すべ...

    2020年11月9日

    中西 哲也

  • 五木寛之

    「他力」(7)

    資本主義の精神 次回に、五木寛之の「他力」思想の論理を抽出するべく、今回は、欧米の宗教との比較を行います。五木によれば、近代社会の発祥地である欧米諸国よりも、むしろ日本の方が、「アイデンティティの崩壊」という近代の問題は深刻です。 まず、五木によれば、近代の知性は、ルサンチマンや情感を切り捨てました。実際、西洋近代は、神から授けられた人間の「理性」を前提としています。西洋文明の根底には、「客観性」...

    2020年10月31日

    中西 哲也

  • 五木寛之

    「他力」(6)

    なぜ「絶望」すべきなのか 前回は、近代日本が「アイデンティティ」の問題を抱えている点を、五木寛之が深刻に捉えていることを確認しました。その問題点とは、日本人が「絶望する」ことが苦手だということです。より具体的に言えば、自己と日本人の存在理由を根源的に問うことができないということです。 今回は、この五木の指摘を踏まえて、「絶望」すべき理由とその意味について、より詳しく検討します。 さて、改めて確認し...

    2020年10月12日

    中西 哲也

  • 五木寛之

    「他力」(5)

    近代の問題 今回は、再度筆者の仮説を説明して、五木寛之の議論を批判的に検討する視角を確認します。筆者の仮説とは、五木の論理に従えば、悪を自覚することまで「他力」にゆだねてしまうことになりかねないというものでした。要するに、「他力」思想には、罪の意識の弱さという問題があるということです。 この仮説を証明するべく、筆者は、五木の“論理的矛盾”を抽出してきました。その矛盾とは、〈...

    2020年10月4日

    中西 哲也

  • 五木寛之

    「他力」(4)

    〈諦める〉 前回は、五木寛之の「他力」思想の核心に切り込むべく、「オウム真理教」に関する五木の見解を考察して、悪を自覚することと、仏を信ずることとの関係を問いただしました。要するに、悪を自覚してはじめて仏の側から呼びかけてくれると言う一方で、ひと筋に仏に帰命するべきだと言うことは、矛盾していないのかというのが、筆者の問題提起なのです。 今回は、以上の“論理的矛盾”の問題を明...

    2020年9月27日

    中西 哲也

  • 五木寛之

    「他力」(3)

    親鸞の「無差別救済」 前回は、五木寛之の見解を批判的に検討して、次のように問いかけました。それは、人事を尽くすことを「天命」にゆだねるのであれば、悪を自覚することもまた「他力」にゆだねてしまうのかという問いかけです。 今回は、この問いかけの意味を説明するべく、オウム真理教に関する五木の見解を検証します。結論から言えば、麻原彰晃には、悪の自覚があるとは必ずしも言えないにもかかわらず、「他力」思想に従...

    2020年9月20日

    中西 哲也

  • 五木寛之

    「他力」(2)

    法然の教え 前回は、『人生の目的』の批判的検討に基づいて、五木寛之の思想の根幹に位置する「他力」について検討しました。簡潔に言えば、筆者(中西)の問題意識は、悪を自覚して神仏と向き合うことにも、「意志」(自力)が必要なのではないかということでした。 仏と向き合って悪を自覚する人が救われるのに対して、そうした「意志」を持たない人は救われることがない。だからこそ蓮如は、前回指摘したように、這い上がろう...

    2020年9月14日

    中西 哲也

  • 五木寛之

    「他力」(1)

    『人生の目的』の論理 今回から、五木寛之『他力』の検討に入ります。初回は、『人生の目的』の批判的検討を行って、筆者の問題関心を明確にしてから、「他力」とは何かについての説明を行います。 前回明らかにしたように、五木は『人生の目的』において、「他力」の核心を説明していました。簡潔に言えば、その核心とは、仏の側から呼びかけてくれる、というものです。そのためには、おのれの悪を自覚しなければなりません。結...

    2020年9月7日

    中西 哲也

  • 五木寛之

    人生の目的(5)

    「他力」思想 今回は、〈人生の目的〉シリーズの最終回です。最後に、「信仰」について考えてみましょう。五木寛之の考えの根幹には、「他力」思想があります。結論から言えば、おのれの悪と向き合い、神仏を信ずることが重要だということになります。 まず、五木は、次の点を強調します。「悪は私たちすべての人間のひとりひとりに宿っているはずだ。善人と悪人、天使と悪魔、というように、はっきりと二つに分けないのが他力思...

    2020年8月31日

    中西 哲也

  • 五木寛之

    人生の目的(4)

    格差社会とその原因 前回の「肉親」に引き続いて、今回は、「金銭」に関する五木の考えを検討します。結論から言えば、お金は目的ではなく目標にすぎないが、それを軽く見ることはできない、ということです。重要な点は、五木が、「今の自分」と「昔の自分」という2つの立場を踏まえて、この結論を導いていることです。 さて、五木は、格差社会が再びやってくると述べています。「一部の富めるグループはますます富み、大多数は...

    2020年8月24日

    中西 哲也

  • 五木寛之

    人生の目的(3)

    肉親をめぐる両面性 前回は、〈宿命と運命〉を受け入れることで生きつづけること自体の価値を肯定するという、五木寛之の論理を確認しました。なお、五木は、親鸞の〈業縁〉という言葉を、〈宿命と運命〉という言葉に読みかえていました。 さて、前回の記事を踏まえて、今回の記事では、「肉親」に関する五木の考えを検討します。前回の内容に照らすならば、私たちは肉親を選べないので、宿命として受け入れるべきだということに...

    2020年8月17日

    中西 哲也