直感と論理(5)

2019年9月30日

直感に基づいて計算する方法 今回は、『学ぶということ』の中から、美馬達哉「リスクで物事を考える」を取り上げます。今回も前回と同じく、“直感に基づいて計算する”という観点から、美馬の論考を批判的に検討します。 『学ぶということ』の中から、内田樹と池上彰の論考についてはすでに触れましたが、直感と論理(計算)の関係についての考察が不十分だという問題点を指摘しました。池上に関して言...

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    “パラドックス”について 前回は、野依良治の記事を中心に、日本の教育問題について考えました。今回は、野依の議論の核心を批判的に検討していきます。 前回確認したように、野依の議論の核心は、個人が直感と論理を強化することが、社会全体の利益を増進させるというものでした。この核心に従って、学校が自らの評価基準で、入学者を選抜するべきだという提言を行っていました。 この核心は、論理的...

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    野依良治が本気で怒っている理由 今回のシリーズでは、「問い」を発することについて、〈直感と論理〉という視角から、考えてみたいと思います。 前編では、「承認」をめぐるディレンマについて取り上げました。筆者自身の闘病体験から言えば、自分で自分の存在を承認するべきなのですが、自分の精神状態を疑わなければならないというディレンマがあります。 筆者が記事を書くにあたっては、この内面のディレンマから「問い」を...

    2019年9月9日

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    最終回の課題 今回が、〈斎藤環と承認〉編の最終回になります。前回予告した通り、斎藤(フランクル)の論理の核心に対する批判的検討を通じて、筆者自身の考え方も明らかにしたいと思います。 前回、フランクルの“問いの反転”について詳しく検討しました。簡潔に言えば、人生からの呼びかけがあるからこそ、自分で自分の存在を承認することができるという論理でした。 このように、「内」から「外」...

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    “問い”の反転 前回は、斎藤環のフランクル解釈を確認しました。斎藤によれば、フランクルの「構図」とは、自分の人生や存在を全面的に肯定しておきながら、人生から自分で「意味」を見つける努力をするように鼓舞されるというものでした。 斎藤は、この「構図」が矛盾しているのではないかという問題提起を行っていました。この問題提起は、適切です。なぜならば、フランクルの「構図」は、肯定されて...

    2019年8月25日

    中西 哲也

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    斎藤環とフランクル 前回は、筆者の個人的経験から、精神のリハビリ施設の問題点を指摘しました。その問題点とは、先に他者からの承認を得られることを期待して、自分から承認を与えることが後回しになるということです。 今回と次回の記事で批判的に検討しますが、この問題点は、斎藤環の問題点でもあります。斎藤は、自分で自分の存在を承認することを起点として、他者を承認することを優先するべきだと言います。それにもかか...

    2019年8月17日

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    「ディレンマ」と「矛盾」 前回は、承認が循環するという、斎藤環の「構図」を批判するために、筆者の個人的な経験を例に出しました。自分で自分の存在を承認することを起点として、他者を承認するという論理には、筆者も賛同します。しかし、斎藤は、この「内」から「外」という論理と同時に、「外」から「内」という論理にも期待を表明しているのです。 すなわち、斎藤は、他者から承認を得られることを期待して、他者を承認す...

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    「愛」の問題 前回は、斎藤環の「構図」を抽出して、それに内在する問題を指摘しました。簡潔に言えば、その問題とは、次の点に対する認識が不十分だということです。すなわち、他者との関係構築を重視することと、自分で自分の存在を承認することが、両立しがたいという点です。 今回は、このディレンマの具体例を挙げて、斎藤の「構図」の問題点をより明確にします。今回は、他者との関係構築を、親や家族ではなく、赤の他人と...

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    斎藤環の「構図」 前回は、「鏡像」関係の理論における「相互承認」の論理を説明しました。今回は、斎藤環の文献を読み解きながら、斎藤の「構図」を抽出していきます。 まず、「相互承認」の論理は、他者からの承認で自己愛が成立するという前提に依拠しています。ちなみに、「自己愛とは自分という存在を温存していこう、サバイバルしていこうという欲望のこと」です(斎藤環「つながることと認められること」桐光学園+ちくま...

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    川崎殺傷事件の経緯 前回は、「どのように承認を得るのか」という第2の論点について理論的検討を行い、元農水省事務次官が起こした事件の根本原因を指摘しました。今回は、川崎市の殺傷事件を取り上げて、理論的観点から原因の探求を行います。 「ひきこもり」の人たちは、通常「通り魔」事件を起こさないと言われています。前回指摘しましたが、その理由について、土井隆義は次のように述べていました。それは、「ひきこもり」...

    2019年7月26日

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    「共依存」と「鏡像」 前回は、「ひきこもり」当事者が、他者から承認されたいと望みながらもその望みがかなわず、「自己否定」から暴力に訴えるという構図を確認しました。 今回は、「ひきこもり」に関連した2つの事件を読み解く第2の論点として、「どのように承認を得るのか」という点を取り上げて、理論的な解説を付け加えたいと思います。 それは、「共依存」関係ならびに「鏡像」関係の理論です。土井隆義が指摘するよう...

    2019年7月22日

    中西 哲也

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    誰からの承認か 前回は、精神科医の斎藤環の分析に基づいて、「コミュニケーション」と「承認」という視点から、川崎市の殺傷事件と農林水産省の元事務次官が自分の息子を殺害した事件について説明しました。2件とも、「ひきこもり」が関連しているという報道がなされています。 管見の限り、斎藤が最も主張したいことは、「他者の承認に左右されずに、自分を承認すること」のようです。この主張については、別稿にて詳しく検討...

    2019年7月15日

    中西 哲也

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    「承認」について(1)

    内面のディレンマ これまで、自分の内面を見つめることが創造的行為につながるということを論じてきました。 以前に、藤原正彦の著書『国家と教養』を取り上げましたが、藤原も「内」の重要性を指摘していました。藤原の議論の要点は、筆者なりに解釈すれば、「外」の知識も重要だが、「内」の情緒ともつながらなければ、真の「教養」は培われない、ということです。 たしかに、社会との関係がなければ、内面には見つめるべき対...

    2019年7月8日

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    「創造性」についての覚書(その七)

    提言の前提 今回は、〈川喜田二郎編〉の最終回になります。前回指摘したのは、川喜田の狙いとは対照的に、現代の若者が世界の「外」にいて、「今」を過去や未来との関係で捉えていないという問題です。 また、この「今の捉え方」が、「自分の歴史の捉え方」とも関連しながら、「自己意識」あるいは「個性」を形成してゆくのです。この点を踏まえて、最終回では、改めて川喜田の「核心的論理」の“矛盾”...

    2019年6月30日

    中西 哲也

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    「創造性」についての覚書(その六)

    「今」の捉え方 前回は、「個性」に関する、川喜田二郎の「核心的論理」を批判的に検討しました。簡潔に言えば、「核心的論理」の前提となっている「世界内的認識」は、「無我」の状態であるべきなのに、「環境」に意識を向ける主体が存在しているという問題を抱えています。 今後、この川喜田批判の意味を具体的に考えてゆくために、「今の捉え方」という問題を取り上げます。以下では、川喜田の議論と現代の若者の捉え方を比較...

    2019年6月27日

    中西 哲也

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    「創造性」についての覚書(その五)

    「環境」と「個性」 今回から、前回抽出した、川喜田二郎の「核心的論理」とその前提を批判的に検討していきます。 川喜田の「核心的論理」とは、「環境」をしっかりと把握することができさえすれば、自然と「個性」や「主体性」も発揮できるという論理でした。この論理は、自己が自然・環境と一体であるという境地を前提として組み立てられていました。 このように、川喜田の「核心的論理」では、「環境」と「個性」という2つ...

    2019年6月21日

    中西 哲也

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    「創造性」についての覚書(その四)

    思想としての「総合」 今回は、川喜田二郎の議論の意義を確認したあとで、「個性」と「主体性」に関する「核心的論理」を抽出します。 川喜田によれば、「我」を前面に出す西欧文明には、次のような特徴があります。それは、自分が創造するのみで、創造によって自分が変わることを認めないことや、仕事を信じて任せることをしないといったことです。こうした特徴をもつ西欧文明は、「三大公害」を深刻化させてしまいました。 近...

    2019年6月13日

    中西 哲也

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    「創造性」についての覚書(その三)

    「全体状況」と「絶対感」 前回は、川喜田二郎の近代西欧文明批判を解説しました。近代西欧文明の「我」に対して、川喜田は「没我」・「無我」を強調します。 「没我」・「無我」の境地とは、「我」ではなく、「渾沌」(こんとん)からはじまります。また、主体も客体から影響を受けるということを認めます。こうした点を踏まえて、今回は、「創造的行為の内面世界」の諸特徴について説明したいと思います。 まず、創造的行為を...

    2019年6月6日

    中西 哲也

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    「創造性」についての覚書(その二)

    デカルト的「我」と近代西欧文明 はじめに、川喜田二郎の議論を整理しておきましょう。川喜田は、現代の問題の根本原因は近代西欧文明にある、と論じています。この点が、川喜田の議論の軸となっています。 創造性とは問題解決の能力です。具体的に川喜田は、KJ法を通じて実践することによって、現在露呈している日本や世界の問題を解決しようとします。 それでは、川喜田の批判の対象となっている、近代西欧文明の特徴につい...

    2019年5月31日

    中西 哲也

  • 創造性

    「創造性」についての覚書(その一)

    なぜ川喜田二郎なのか 今回から4回にわたって、川喜田二郎の書籍を取り上げます。「KJ法」を開発した川喜田二郎が、「創造性」についてどのように考えていたのかについて検討していきます。 まず、なぜ川喜田二郎を取り上げるのかについて説明します。前回までの検討で明らかになった、「創造性のプロセス」を整理しておきましょう。 内省 → 教養 → 課題探求能力 → 創造性 要するに...

    2019年5月25日

    中西 哲也

  • 教養

    「内省」の力と大学教育の意義(新続)

    論理の転換 前回は、文科省の「教養教育」において、「内省」が重要な位置を占めるようになっていることを確認しました。 文科省自身も、従来の教育が「知識伝達型」になっていたことを、反省点として総括しています。現在文科省が、「課題探求能力」を前面に押し出しているということは、裏を返せば、以前はそうした側面が弱かったことを認めているということです。 このような従来の「教養教育」の問題点は、「仕事」以外のも...

    2019年5月13日

    中西 哲也

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    「内省」の力と大学教育の意義(続々)

    文科省の「教養教育」 今回は、前回の「内省」に関する分析を踏まえて、国がどのような「教養教育」を進めているのかについて検討します(以下の参考資料は、中央教育審議会の「答申」です)。 まず、文部科学省(以下、文科省)は、「教養」について、次のように定義しています。それは、「個人が社会とかかわり、経験を積み、体系的な知識や知恵を獲得する過程で身に付ける、ものの見方、考え方、価値観の総体」です。 今なぜ...

    2019年5月8日

    中西 哲也

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    「内省」の力と大学教育の意義(続)

    議論の整理 「令和」の時代になりました。「昭和」から「平成」に元号が変わったとき、筆者はまだ幼かったですが、「平成」という時代に、自己を認識する力が向上したと実感しています。 さて、前・中・後と3回にわたって、「志望理由書」と「研究計画書」、そして「エントリー・シート」について論じてきました。これらの書類の作成過程で、書類作成者は、高校生から大学生へ、さらには社会人へと成長してゆきます。 まず、「...

    2019年5月4日

    中西 哲也

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    「内省」の力と大学教育の意義(後)

    「エントリー・シート」について 前回言及した通り、今回は「エントリー・シート」について書きます。結論と根拠については、前回すでに触れましたが、より具体的に説明したいと思います。 研究活動と同様に、就職活動に関しても、自分の「外」の分析に重点を置きつつ、立派に採用を勝ち取る学生はいるでしょう。 就職活動においては、事前に業界・企業研究を行うに越したことはありません。たとえば、給料や福利厚生はどうか、...

    2019年4月30日

    中西 哲也

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    「内省」の力と大学教育の意義(中)

    「論理的矛盾」の問題 前回では、「志望理由書」を取り上げながら、自己分析を大学分析よりも優先させるべきだと述べました。その理由として、「手段の自己目的化」という問題を指摘しました。 今回は、「研究計画書」と「エントリー・シート」の両方を取り上げる予定でしたが、前者のみとさせていただきます。というのも、大学教育との関係から「内省」の意義を検討することが、予想以上に大きな試みだったからです。 今回と次...

    2019年4月26日

    中西 哲也

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    「内省」の力と大学教育の意義(前半)

    自分の「外」が先か、それとも「内」が先か 前回の記事では、スティーヴ・ジョブズを取り上げました。前回のおさらいをしておくと、ジョブズの起業家精神の真髄は、外部社会との関係のあり方に気をもむよりも、自分自身の内なる声に耳をすますべきだというものでした。 ちなみに、この起業家の特性は、彼の「直感」のみならず、「内省」を行うという点にもあります。たしかに、ジョブズは「直感」の重要性を指摘していますが、同...

    2019年4月21日

    中西 哲也

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    ジョブズと起業家精神の真髄

    なぜジョブズなのか 前回の記事では、ブログの方向性についてお話ししました。簡潔に言えば、「自分との対話」が「創造的行為」の源泉になりえるということです。この「仮説」は、今回はもちろん、今後も一貫させたいと考えています(ネタが尽きるまでは)。 今回は、この「仮説」をより具体的に説明したいと思います。改めて、前回の斎藤環の指摘も踏まえて言えば、自分と折り合いを付けることができる程度でしか、他人や社会と...

    2019年4月16日

    中西 哲也

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    自己紹介とブログの狙い(無料公開記事)

    自己紹介 はじめまして。中西哲也と申します。 ブログを始めるにあたって、まず、簡単に自己紹介をさせていただきます。 私は、大学院で学問的探究を行いながら、教育業界にも携わってきました。 第1に、大学院で「外交史」を専攻して、歴史や政治に関する文献を読んできました。とくに、E・H・カーやマルク・ブロック、そしてジョン・L・ギャディスなど、歴史的な分析手法を解説している歴史家の書物に魅力を感じました。...

    2019年4月13日

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