直感と論理(6)

2019年10月12日

内省による逆説 今回は、『学ぶということ』の中から、鹿島茂「考える方法」を取り上げます(桐光学園+ちくまプリマー新書編集部・編『続・中学生からの大学講義1 学ぶということ』筑摩書房、2018年)。 前回は、「内省」の真の意義は、直感に基づいて計算することを可能にすることだという点を指摘しました。結論から言えば、鹿島も、「内省」について論じているものの、その真の意義を掴むことができていません。 とこ...

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    大河の一滴(6)

    〈悲〉の情感から出発する 前回は、〈いまここに居る〉という現実を見つめるためには、自然と一体になる必要があるという五木寛之の議論を検討しました。それでは、自然と一体になるには、どうすればよいのでしょうか。今回は、その答えとして五木が、〈悲〉の情感から出発するべきだと主張していることを確認します。 まず、五木によれば、コンピューターの世界に象徴されるように、「戦後五十年、私たちが追求してきた世界とい...

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    新型コロナについて 前回検討したように、五木寛之によれば、生命の流れや自然、そして宗教とつながることでこそ、「悪を自覚する」という「意識」が生じます。また、五木によれば、自然と一体になることができれば、おのれに問い、〈いまここに居る〉という現実を見つめることができます。今回は、この『大河の一滴』の論理を批判的に検討します。 ところで、興味深いことに、すでに『大河の一滴』で五木は、現在問題となってい...

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    宗教の論理 今回も、五木寛之『大河の一滴』の論理を批判的に検討します。この目的を達成するべく、改めて、筆者(中西)の祖父の話をしておきます。 すでに説明しましたが、筆者の祖父は、太平洋戦争の沖縄戦を生き抜きました。そして、戦後祖父は、“気が狂い、自殺する”ことなく、仕事・結婚・子育てをこなしましたが、残念ながら、癌を患ってこの世を去りました(拙稿「信ずることと戦うこと」を参...

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    悪を自覚する 今回は、筆者(中西)の視角に基づいて、五木寛之『大河の一滴』を批判的に検討します。具体的に言えば、他力は自力の母である(先に神仏とつながる)という考えに対して、先に悪を自覚するからこそ神仏を感じられるという考えを提起します。 まず、五木は、次のように述べます。「私の心のなかには、理屈にならない太い棒のような感覚があって、それが私に自分を、どうしようもない救いようのない人間、と感じさせ...

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    大河の一滴(2)

    自殺を思いとどまった理由 今回からは、前回明らかにした視角に従って、五木寛之の『大河の一滴』を読み解いていきます。 さて、本の冒頭で、五木は、次のように告白しています。「私はこれまでに二度、自殺を考えたことがある」(五木寛之『大河の一滴』幻冬舎文庫、1999年、13頁)。誰にでも、こころが「萎える」ときがあります(同上、15頁)。「無気力になり、なにもかも、どうでもいいような、投げやりな心境になっ...

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    『他力』の論点 これまで『人生の目的』と『他力』を検討してきましたが、今回からは『大河の一滴』を検討していきます。今回は、前シリーズの『他力』の論点を再度整理した上で、『大河の一滴』を読み解く視角を明らかにします。 五木寛之の問題意識は、「アイデンティティ」にありました。自己と日本人の「存在理由」はどこにあるのかということが、『他力』を貫く問題意識なのです。 この点に関して言えば、「世界中にただひ...

    2020年12月14日

    中西 哲也

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    「他力」(10)

    〈生老病死〉 前回は、〈悲〉の情感から出発する“前提”として、その情感をどのように見つめるのかという点が核心的であることを指摘しました。「他力」思想では、自己と神仏が一体化するため、ヨーロッパ文明とは異なって、「自分の内」で神仏と出会います。シリーズ最終回の今回は、〈生老病死〉の問題を取り上げて、「自分の内」を省みる際に宗教が入るという問題点について、五木の議論を批判的に検...

    2020年11月30日

    中西 哲也

  • 五木寛之

    「他力」(9)

    「戦争責任」について 五木寛之は、欧米と日本の宗教観の違いを踏まえて、「戦争責任」について総括を行っています。今回は、彼の総括を検討することによって、「他力」思想の論理の“前提”を抽出します。 さて、五木の考察を参考にすると、西洋文明の根底には、その宗教観や世界観を背景として、「外」から「内」へ向かうという客観性の論理が中核にあります。また、個人が神と向き合って契約を結ぶと...

    2020年11月23日

    中西 哲也

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    「他力」(8)

    日本人の精神とは何か 今回は、欧米の宗教・世界観に関する前回の検討を踏まえて、五木寛之の「他力」思想の核心的論理を抽出します。近代日本が「アイデンティティの崩壊」に直面している中で、現在求められている「宗教的な感覚」とは、一体何なのでしょうか。 五木によれば、その「宗教的な感覚」とは、次のようなものです。「アジア全体がそうですが、日本人は縄文以来、森や山に生命を感じる、大きな木にしめ縄を張る。すべ...

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    中西 哲也

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    「他力」(7)

    資本主義の精神 次回に、五木寛之の「他力」思想の論理を抽出するべく、今回は、欧米の宗教との比較を行います。五木によれば、近代社会の発祥地である欧米諸国よりも、むしろ日本の方が、「アイデンティティの崩壊」という近代の問題は深刻です。 まず、五木によれば、近代の知性は、ルサンチマンや情感を切り捨てました。実際、西洋近代は、神から授けられた人間の「理性」を前提としています。西洋文明の根底には、「客観性」...

    2020年10月31日

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    「他力」(6)

    なぜ「絶望」すべきなのか 前回は、近代日本が「アイデンティティ」の問題を抱えている点を、五木寛之が深刻に捉えていることを確認しました。その問題点とは、日本人が「絶望する」ことが苦手だということです。より具体的に言えば、自己と日本人の存在理由を根源的に問うことができないということです。 今回は、この五木の指摘を踏まえて、「絶望」すべき理由とその意味について、より詳しく検討します。 さて、改めて確認し...

    2020年10月12日

    中西 哲也

  • 五木寛之

    「他力」(5)

    近代の問題 今回は、再度筆者の仮説を説明して、五木寛之の議論を批判的に検討する視角を確認します。筆者の仮説とは、五木の論理に従えば、悪を自覚することまで「他力」にゆだねてしまうことになりかねないというものでした。要するに、「他力」思想には、罪の意識の弱さという問題があるということです。 この仮説を証明するべく、筆者は、五木の“論理的矛盾”を抽出してきました。その矛盾とは、〈...

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    「他力」(4)

    〈諦める〉 前回は、五木寛之の「他力」思想の核心に切り込むべく、「オウム真理教」に関する五木の見解を考察して、悪を自覚することと、仏を信ずることとの関係を問いただしました。要するに、悪を自覚してはじめて仏の側から呼びかけてくれると言う一方で、ひと筋に仏に帰命するべきだと言うことは、矛盾していないのかというのが、筆者の問題提起なのです。 今回は、以上の“論理的矛盾”の問題を明...

    2020年9月27日

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    「他力」(3)

    親鸞の「無差別救済」 前回は、五木寛之の見解を批判的に検討して、次のように問いかけました。それは、人事を尽くすことを「天命」にゆだねるのであれば、悪を自覚することもまた「他力」にゆだねてしまうのかという問いかけです。 今回は、この問いかけの意味を説明するべく、オウム真理教に関する五木の見解を検証します。結論から言えば、麻原彰晃には、悪の自覚があるとは必ずしも言えないにもかかわらず、「他力」思想に従...

    2020年9月20日

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    法然の教え 前回は、『人生の目的』の批判的検討に基づいて、五木寛之の思想の根幹に位置する「他力」について検討しました。簡潔に言えば、筆者(中西)の問題意識は、悪を自覚して神仏と向き合うことにも、「意志」(自力)が必要なのではないかということでした。 仏と向き合って悪を自覚する人が救われるのに対して、そうした「意志」を持たない人は救われることがない。だからこそ蓮如は、前回指摘したように、這い上がろう...

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    『人生の目的』の論理 今回から、五木寛之『他力』の検討に入ります。初回は、『人生の目的』の批判的検討を行って、筆者の問題関心を明確にしてから、「他力」とは何かについての説明を行います。 前回明らかにしたように、五木は『人生の目的』において、「他力」の核心を説明していました。簡潔に言えば、その核心とは、仏の側から呼びかけてくれる、というものです。そのためには、おのれの悪を自覚しなければなりません。結...

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