関連記事
-
教養 「内省」の力と大学教育の意義(新続)
論理の転換 前回は、文科省の「教養教育」において、「内省」が重要な位置を占めるようになっていることを確認しました。 文科省自身も、従来の教育が「知識伝達型」になっていたことを、反省点として総括しています。現在文科省が、「課題探求能力」を前面に押し出しているということは、裏を返せば、以前はそうした側面が弱かったことを認めているということです。 このような従来の「教養教育」の問題点は、「仕事」以外のも...
2019年5月13日
-
教養 「内省」の力と大学教育の意義(続々)
文科省の「教養教育」 今回は、前回の「内省」に関する分析を踏まえて、国がどのような「教養教育」を進めているのかについて検討します(以下の参考資料は、中央教育審議会の「答申」です)。 まず、文部科学省(以下、文科省)は、「教養」について、次のように定義しています。それは、「個人が社会とかかわり、経験を積み、体系的な知識や知恵を獲得する過程で身に付ける、ものの見方、考え方、価値観の総体」です。 今なぜ...
2019年5月8日
-
教養 「内省」の力と大学教育の意義(続)
議論の整理 「令和」の時代になりました。「昭和」から「平成」に元号が変わったとき、筆者はまだ幼かったですが、「平成」という時代に、自己を認識する力が向上したと実感しています。 さて、前・中・後と3回にわたって、「志望理由書」と「研究計画書」、そして「エントリー・シート」について論じてきました。これらの書類の作成過程で、書類作成者は、高校生から大学生へ、さらには社会人へと成長してゆきます。 まず、「...
2019年5月4日
-
教養 「内省」の力と大学教育の意義(後)
「エントリー・シート」について 前回言及した通り、今回は「エントリー・シート」について書きます。結論と根拠については、前回すでに触れましたが、より具体的に説明したいと思います。 研究活動と同様に、就職活動に関しても、自分の「外」の分析に重点を置きつつ、立派に採用を勝ち取る学生はいるでしょう。 就職活動においては、事前に業界・企業研究を行うに越したことはありません。たとえば、給料や福利厚生はどうか、...
2019年4月30日
-
教養 「内省」の力と大学教育の意義(中)
「論理的矛盾」の問題 前回では、「志望理由書」を取り上げながら、自己分析を大学分析よりも優先させるべきだと述べました。その理由として、「手段の自己目的化」という問題を指摘しました。 今回は、「研究計画書」と「エントリー・シート」の両方を取り上げる予定でしたが、前者のみとさせていただきます。というのも、大学教育との関係から「内省」の意義を検討することが、予想以上に大きな試みだったからです。 今回と次...
2019年4月26日
-
教養 「内省」の力と大学教育の意義(前)
自分の「外」が先か、それとも「内」が先か 前回の記事では、スティーヴ・ジョブズを取り上げました。前回のおさらいをしておくと、ジョブズの起業家精神の真髄は、外部社会との関係のあり方に気をもむよりも、自分自身の内なる声に耳をすますべきだというものでした。 ちなみに、この起業家の特性は、彼の「直感」のみならず、「内省」を行うという点にもあります。たしかに、ジョブズは「直感」の重要性を指摘していますが、同...
2019年4月21日
-
教養 ジョブズと起業家精神の真髄
なぜジョブズなのか 前回の記事では、ブログの方向性についてお話ししました。簡潔に言えば、「自分との対話」が「創造的行為」の源泉になりえるということです。この「仮説」は、今回はもちろん、今後も一貫させたいと考えています(ネタが尽きるまでは)。 今回は、この「仮説」をより具体的に説明したいと思います。改めて、前回の斎藤環の指摘も踏まえて言えば、自分と折り合いを付けることができる程度でしか、他人や社会と...
2019年4月16日