関連記事

  • 小林秀雄

    人生観(14)

    「政治学」との出会いと別れ 今回は、小林秀雄シリーズの最終回です。私個人の経験から論点を整理して、小林の議論の意義をまとめます。 私は、国際政治学で軍事力の問題について研究していたのですが、「統合失調症」を罹患してしまいました。その後、己の狂気を見つめたという経験に基づいて、自力で「宗教的体験」をなすためにはどうするべきかということについて考え始めました。そこで出会ったのが、小林秀雄の議論だったの...

    2022年2月24日

    中西 哲也

  • 小林秀雄

    人生観(13)

    歴史のなかで直接経験する これまで述べてきたように、「創造」を生み出すという自覚を生むためには、自然と出会う必要があります。なぜかと言えば、「直接経験」を積み、「過去が現在に生きている」という状態になることができるからです。今回は、この点について具体的に説明します。 小林秀雄は言います。「文学者の覚悟とは、自分を支えているものは、まさしく自然であり、或いは歴史とか伝統とか呼ぶ第二の自然であって、自...

    2022年1月21日

    中西 哲也

  • 小林秀雄

    人生観(12)

    描写と観察力の時代 前回説明したように、小林秀雄によれば、表現には自覚が必要です。具体的に言えば、詩が音楽家の創作方法に倣ってつくられるとき、言葉は「感覚的実体」となるのです。なぜ小林がこの点について強調したのかと言えば、以下で説明するように、観察力に基づいて描写が重視されるに伴って、言葉が実体を持たない「記号」となってしまったからです。 小林によれば、「現代は散文の時代である」。散文では、前回説...

    2021年12月27日

    中西 哲也

  • 小林秀雄

    人生観(11)

    どう生きるべきか 前回は、「実在」と出会って運命感を得ることによって、生きてゆく自覚が生まれることを確認しました。今回は、この自覚が生まれてはじめて、表現することが可能になるということを指摘します。 まず、小林秀雄は、次のように述べています。「例えば文学上の自然主義とか絵画上の印象主義とかが輸入されるに際し、〔中略〕この芸術家の根本の態度、文学者も画家も、各自の仕事の裡に、人生とは何かという問題を...

    2021年11月21日

    中西 哲也

  • 小林秀雄

    人生観(10)

    「悲劇について」 それでは、「実在」とは何で、どうすれば生きる覚悟を持つことができるのでしょうか。引用が長くなりますが、小林秀雄の論理を追ってゆきましょう。 まず、小林は「悲劇について」において、ドイツの哲学者・ニーチェの議論を踏まえて、「嫌悪すべきものを悉く無条件で肯定する」という「悲劇精神」を摑むには、「勇気を要する」と強調しています。「必然的なもの」を進んで愛するという「思想には、合理的な説...

    2021年11月8日

    中西 哲也

  • 小林秀雄

    人生観(9)

    「中原中也の思い出」 今回は、小林秀雄の「無私の精神」の論理を確認した後で、その論理に沿って、詩人の中原中也について書きます。これまで説明してきたように、小林によれば「無私」とは、「内的経験」をして“主客未分化”の状態になることです。 「無私」の状態とは、おのれの悲しみを見つめて、自然や歴史(時)、そして神という「実在」に出会うことです。言い換えると、「実在」と出会うことが...

    2021年10月31日

    中西 哲也

  • 小林秀雄

    人生観(8)

    何のために学ぶのか 今回からは、“生きるために過去を直視する”にはどうすべきなのかについて、小林秀雄の論理を検討していきます。まず、この〈小林秀雄〉編の初回記事で書いたように、私の問いは、学術研究をしていた私が、精神病院に入れられて「狂人」になったのはなぜかということです。 私は、学術研究をしていた時に、次のようなことに関心を有していました。それは、「軍事力」の意義とは何か...

    2021年9月18日

    中西 哲也

  • 小林秀雄

    人生観(7)

    知覚を拡大するとき、人は沈黙する 前回指摘したように、小林秀雄が支持するのは、日常生活から出発して思想にまで高めるという論理です。ただ注意すべきは、この論理が、「社会生活の実践的有用性の制限から解放される事」によって確実になるということです。今回は、この“逆説”について詳しく検討していきます。 まず、小林は、「リルケにロダンを語った美しい文章があります」と述べて、以下のよう...

    2021年8月5日

    中西 哲也

  • 小林秀雄

    人生観(6)

    「生活」と「思想」 前回は、宮本武蔵の「心眼」について説明しました。その内容を踏まえて、今回は、小林秀雄「私の人生観」における、生活と思想・芸術の関係について考えます(小林秀雄『人生について』中公文庫、2019年)。 小林によれば、武蔵は「経験尊重の生活から、一つの全く新しい思想を創り出す事に着目した人」でした。まず、武蔵の「思想」とは、勝つという行為です。そして、自分を勝たせたのは、「自分の腕の...

    2021年7月30日

    中西 哲也

  • 小林秀雄

    人生観(5)

    宮本武蔵の観法 今回は、引き続き小林秀雄の「私の人生観」(小林秀雄『人生について』中公文庫、2019年)より、宮本武蔵の思想を取り上げます。小林は、これまで検討してきた「観法」の論理に基づいて、武蔵の「心眼」について論じています。 今回は、引用が多くなりますが、小林の指摘から重要な論点を引き出しましょう。 「宮本武蔵の独行道のなかの一条に『我事に於て後悔せず』という言葉がある」(小林、前掲書、39...

    2021年6月3日

    中西 哲也

  • 小林秀雄

    人生観(4)

    空観 前回は、小林秀雄の議論に基づいて、仏教が審美性を持ち得た要因が「観法」にあることを説明しました。今回は、仏教の「空観」とその意義について説明した後で、「空観」と「科学」の違いと、その背景にある釈迦とキリストの違いについて説明します。 「仏教の思想を言うものは、誰でも一切は空であるという、空の思想を言います」。「空の問題にどれほど深入りしているかを自他に証する為には、自分の空を創り出してみなけ...

    2021年5月21日

    中西 哲也

  • 小林秀雄

    人生観(3)

    「観法」 今回は、自力で「宗教的体験」をするということについて、さらに具体的に考えていきます。取り上げるのは、小林秀雄「私の人生観」(『人生について』中央公論新社、2019年)です。仏教の「観法」が創造性の源泉だというのが、小林の議論の核心です。 仏教の思想は、「観」という言葉(見るという意味)に価値をおきました。「禅というのは考える、思惟する、という意味だ、禅観というのは思惟するところを眼で観る...

    2021年5月10日

    中西 哲也

  • 小林秀雄

    人生観(2)

    『遠野物語』と白鹿の話 今回は、「信ずることと知ること」を取り上げます。この論考にて小林秀雄は、「宗教的体験」とその意義について、具体的に論じています。筆者なりにまとめると、なぜ柳田国男は『遠野物語』という優れた作品を生み出すことができたのかということが、小林の問題意識なのです。今回は、小林の議論を組み立て直して、彼の考えを明確にします。 さて、小林は、柳田国男の『遠野物語』に出てくる白鹿の話を紹...

    2021年4月12日

    中西 哲也

  • 小林秀雄

    人生観(1)

    小林秀雄の「宗教的体験」 今回からは、「宗教」に関する新たなシリーズに入ります。五木寛之の議論を検討した結果、「宗教的体験」をする重要性を学びましたが、課題は、それを「他力」ではなく「自力」で為すということにありました。このシリーズでは、この点について深く考察していきます。 この課題探究にあたって、小林秀雄の書籍を題材とします。具体的に言えば、『人生について』と『考えるヒント2・3』です。小林の議...

    2021年3月26日

    中西 哲也