関連記事

  • 私と評論

    わかりやすさと自画像

    お前の文章はわかりにくいとは、よく言われてきた。そのとき、それではお前の文章はそんなにいいものなのかと聞けば、その場では気分が晴れた気にはなるだろう。人間とはその場で勝てばそれでよいとするものだと、太宰治が『人間失格』で指摘している。そうではなく、「傑作」を残して死ぬのだ、そのように決めた者の覚悟は、やはり何か違うと感じた。それが、生活面では不能者と言えるかのような人物であっても、だ。ところで、学...

    2023年4月15日

    中西 哲也

  • 私と評論

    対象に入り込む

    評論に本格的に取り組む前に、博士論文や投稿論文をボツにされた。その時は、失格者の烙印を押されたような気がしていたが、小林秀雄や太宰治を読むことで、前に進むことができた。客観的に見た時、私の言葉は、「負け犬の遠吠え」のように聞こえるかもしれないが、私は、これで本当によかったと思っている。将来、太宰について本をまとめたいと考えているが、彼は「脳病院」の体験を通じて、主観と客観の問題について深く問うこと...

    2022年11月27日

    中西 哲也

  • 私と評論

    苦悩

    太宰論においてほとんど共通認識となっているのは、太宰作品が、自他の認識の相違に焦点を当てているということだ。彼の作品や登場人物に多くの人が感情移入できるのは、「道化」という言葉に象徴されるように、仮面をかぶって日常生活を送っている側面が、誰にでもあるからなのだろう。しかし、太宰治の本当の魅力は、私からすれば、学者や評論家批判にある。『人間失格』と並行して書かれた随筆には、フィクションではなく、作家...

    2022年11月26日

    中西 哲也

  • 私と評論

    前田英樹『批評の魂』

    今回は、前田英樹『批評の魂』(新潮社、2018年)を取り上げます。前田が取り上げている批評家は、主に小林秀雄ですが、河上徹太郎も出てきます。そして、同書の軸は、小林が、自然主義文学者の正宗白鳥との論争から、その白鳥の思想に理解を示すに至る過程です。前田は、丹念に小林の著作の核心を説明してくれているため、非常に読んでいて楽しかったです。以前に前田の本を取り上げたのですが、しっかりと小林の著作を読み込...

    2022年11月13日

    中西 哲也

  • 私と評論

    浜崎洋介『反戦後論』

    今回は、浜崎洋介『反戦後論』(文藝春秋、2017年)を取り上げます。浜崎は、小林秀雄に関する書籍も出しており、「文芸批評家」として、参考にすべき点が多くありました。今回は、自分の頭を整理するという狙いにくわえて、彼の「評論」の方法についても学んでみたいと思います。今回取り上げる書籍は、彼が長年取り組んできた論考をまとめたものです。そのため、多様な論点が抽出され、考察されているので、正直、現在の私の...

    2022年10月30日

    中西 哲也

  • 私と評論

    「客観性」とは何か

    別に大学教授の文句を書きたいわけではない。ただ、自分が研究から評論に向かうにあたって、かつて自分が目指していたものとは何だったのか、また自分には肌が合わなかった理由は何かについて、改めて整理しておくことが必要だと感じた。個人的には、大学教育の魅力は、学位ではないと思う。というのも、私自身が、博士を単位取得満期退学しているのに、正社員として社会に貢献していないからだ。「費用対効果」から見た場合、私に...

    2022年10月10日

    中西 哲也

  • 私と評論

    「科学」批判のきっかけ

    今回は、「科学」批判をすることになった、私の経験について書いてみたいと思います。「科学」を信奉されておられる方には、私個人の問題として片付けていただいて、まったく構いません。簡潔にまとめると、それは、すべて学者との出会いでした。博士課程まで進んだので、学者と直接対話する機会を得ることができた点は、ある意味では、貴重な経験だったかもしれません。ただ、結論的に言えば、彼らのような、客観的で、合理的な人...

    2022年10月9日

    中西 哲也

  • 私と評論

    生活経験から学問を立ち起こす

    タイトルの言葉は、拙著でも引用していますが、小林秀雄が語ったものです。今回書きたいことは、生活経験を見つめることから学ぶという姿勢が大事なのだということです。それが、研究から評論に進む際に、私が強く感じたことです。前回述べたように、学者は、一般の人よりも、たくさんの本を読んで意見を出している場合が多いです。自分の研究が、もちろん個人的興味・関心から出発しているにしても、社会に役に立つような発明や発...

    2022年10月3日

    中西 哲也

  • 私と評論

    「自己弁護」が目的ではない

    別に大家でもないのに、大仰なタイトルをつけたものですが、太宰治の随筆を読んで、私自身が表現方法について見つめる機会を得ることができました。今回の目的は、太宰論を展開することではなく、私自身の経験を踏まえて、彼がどのような思いで随筆を書いたのだろうかと、思いを巡らせることです。まず、私が太宰に興味を抱いたのは、私が彼と同じく、精神病院に強制入院させられたからです。それでは、その経験は、彼にとってどの...

    2022年10月2日

    中西 哲也