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教育 科学的とは何か
昔、仕事関連でお世話になった保護者さんが、顔を合せても、よそよそしい。ブログの内容を見ていただいたのだろうから、仕方ないとは思う。「頑張って生活しているんだよ」という人にとっては、聞き苦しい話なんだろう。売れなかろうが、結婚するよりも表現したいと考えている者は、常識ある社会人からすれば、「変人」なのだろう。しかし、こらえてきたものが、「爆発」しているだけなのだ。よくここまで我慢してきたと、自分で自...
2023年3月29日
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教育 そろばんの意義
そろばんを教えていて、何の意味があるのだろうと、よく考える。子どもの頃にやっていて、大学院生のときに、少し手伝っていた。そのときは、丸付けくらいのものだった。そのため、やはり生徒が親に、教室に「おっさんがおる」みたいなことを言っていたようだ。そのときよりも手伝うようになったきっかけは、「リハビリ」であった。母に言われて嫌な言葉は、最近は「正常」に戻りつつあるようね、という言葉だ。精神科医みたいな表...
2023年2月22日
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教育 めぐりめぐる
くだらない話なので、1回でまとめたいと思う。因果応報とはよく言ったものだが、生徒に教えていると、過去の自分の体験と似た構造が頭に浮かんでくる。アナロジーとでも言うのだろうか。テナントを借りる前に、自宅で教えていた時、2台分の駐車場を借りていたが(父の車を入れると3台分)、それでも足りない時間帯があった。間の悪いことに、保護者さんが別の駐車場に駐めて待機していて、借り主と鉢合わせてしまうという出来事...
2023年1月21日
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教育 自己肯定と自己否定
ここに辿り着くまでに、紆余曲折があった。そろばんを教えるのを手伝うといっても、大学院生だった時に、手伝っても嫌になって、やめて、また戻るの繰り返しだった。また、教える仕事とはいっても、姉や弟のように、学部生だった時に教えた経験があるわけでもない。柄ではないと思っていたからだ。それは、私の過去を知る学校の先生が、今の私を見ても、ほんまかいなという気持ちになるだろう。同級生たちは、私が真面目だと勘違い...
2022年11月29日
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教育 学ぶということ
兄弟・姉妹でも、性格や能力は異なるものだ。親は、日ごろから子どもとどのように接しているのだろうか。私には、子どもがいないし、結婚もしていない。ある保護者から、子どもは宝なんですよ、と言われたことがあった。そのあたりにいる親は、子どもを自分と同一化して、愛している。自然な感情なのだろう。しかし、冷静に、客観的に、親は自分の子どもを見るべきなのではないかと思うことがよくある。というのも、明らかに学習の...
2022年11月28日