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    共通理解の醸成

    今日、昔の研究会の話が、頭から離れなかった。研究会で話を振られて、つい話しすぎたことだ。公開論文ゼロの私が、研究者に質問するのは、失礼だろうと、マジメに考えていた頃の話だ。国際政治の左派と右派は、共通理解に達することが可能かどうかについて、マジメに考えていた頃の話だ。そんなことは、今どうでもよくなって、お偉いさん方にお任せしようと思っている。核ミサイルを持たない日本が、非友好国に囲まれた状況におい...

    2023年3月16日

    中西 哲也

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    お金と縁

    お金は好きだが、専門的に突き詰めて考えるほどのものではないと考えていた。そろばんを教える手伝いをしているのに、たいへんまずい話なのだが、お買い物ではほとんどお釣りなど、計算していない。値引きの計算も、面倒くさくてしていない。その結果、屋台などで、お金の計算を間違えて、損をしたことがある。自分のことになると、あまり思い出したくも、言いたくもないほどだ。しかし、他人のお金にまつわるエピソードを聞くのは...

    2023年3月13日

    中西 哲也

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    自己を語るということ

    自作を語るわけではない。今後の「文体」について考える、そういうきっかけでしかない。なぜ書くのか?別に与えられた問題など解きたくて、学問をしているのではない。それはもういい。「研究者失格」という肩書きは、「芸術」や「創作」に向かうしかない。東郷克美『太宰治という物語』の最初だけ読み終わったところだ。東郷は、太宰がどうして作家になろうとしたのかについて、太宰作品を読み解きながら、「転向」の意義について...

    2023年2月21日

    中西 哲也

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    内なる他者

    昔、精神科医・斎藤環の本の中で、「内なる他者」と出会うという言葉を知った。たしか、「ひきこもり」問題について述べられていた箇所で、その原因の説明に焦点が置かれていたように記憶している。私の関心に沿って、斜め読みさせてもらったのだが、誤解を恐れずに言えば、斎藤環は、「ひきこもり」の問題点だけでなく、それを理解した上で、「創造性」にまで高めてゆくという意識を有していたように思う。「ひきこもり」の結果、...

    2023年1月30日

    中西 哲也

  • ふりかえる

    占いと学問

    何度も繰り返して申し訳なく思うが、研究が行き詰まったのが、評論の始まりになった。それは、今から振り返ると、自分という人間とは何者かを知る、大きな転機であったのだが、当時は、お先真っ暗という感じであった。うすうすと学者のやっていることや人となりに、うさんくささを感じつつも、学びながら将来飯を食っていきたいということに対して、淡い期待を抱いていたのも確かである。今から考えると、自分を知らなかったのだな...

    2023年1月12日

    中西 哲也

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    思いがけず

    人生においては、思いがけないことが起こりえます。今回は、そのことについて話しますが、微妙な問題です。話したいんだけれども、知られてほしいとは思わないというような感じです。スティーブ・ジョブズが述べているように、今自分がしていることが将来につながることを信じるべきなのですが、彼自身がそうであったように、点と点がつながったと分かるのは、将来のことだということは、もどかしい限りです。つまり、やっているこ...

    2022年12月18日

    中西 哲也