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  • ヒューマン・ディレンマ

    「承認」について(10)

    最終回の課題 今回が、〈斎藤環と承認〉編の最終回になります。前回予告した通り、斎藤(フランクル)の論理の核心に対する批判的検討を通じて、筆者自身の考え方も明らかにしたいと思います。 前回、フランクルの“問いの反転”について詳しく検討しました。簡潔に言えば、人生からの呼びかけがあるからこそ、自分で自分の存在を承認することができるという論理でした。 このように、「内」から「外」...

    2019年8月31日

    中西 哲也

  • ヒューマン・ディレンマ

    「承認」について(9)

    “問い”の反転 前回は、斎藤環のフランクル解釈を確認しました。斎藤によれば、フランクルの「構図」とは、自分の人生や存在を全面的に肯定しておきながら、人生から自分で「意味」を見つける努力をするように鼓舞されるというものでした。 斎藤は、この「構図」が矛盾しているのではないかという問題提起を行っていました。この問題提起は、適切です。なぜならば、フランクルの「構図」は、肯定されて...

    2019年8月25日

    中西 哲也

  • ヒューマン・ディレンマ

    「承認」について(8)

    斎藤環とフランクル 前回は、筆者の個人的経験から、精神のリハビリ施設の問題点を指摘しました。その問題点とは、先に他者からの承認を得られることを期待して、自分から承認を与えることが後回しになるということです。 今回と次回の記事で批判的に検討しますが、この問題点は、斎藤環の問題点でもあります。斎藤は、自分で自分の存在を承認することを起点として、他者を承認することを優先するべきだと言います。それにもかか...

    2019年8月17日

    中西 哲也

  • ヒューマン・ディレンマ

    「承認」について(7)

    「ディレンマ」と「矛盾」 前回は、承認が循環するという、斎藤環の「構図」を批判するために、筆者の個人的な経験を例に出しました。自分で自分の存在を承認することを起点として、他者を承認するという論理には、筆者も賛同します。しかし、斎藤は、この「内」から「外」という論理と同時に、「外」から「内」という論理にも期待を表明しているのです。 すなわち、斎藤は、他者から承認を得られることを期待して、他者を承認す...

    2019年8月14日

    中西 哲也

  • ヒューマン・ディレンマ

    「承認」について(6)

    「愛」の問題 前回は、斎藤環の「構図」を抽出して、それに内在する問題を指摘しました。簡潔に言えば、その問題とは、次の点に対する認識が不十分だということです。すなわち、他者との関係構築を重視することと、自分で自分の存在を承認することが、両立しがたいという点です。 今回は、このディレンマの具体例を挙げて、斎藤の「構図」の問題点をより明確にします。今回は、他者との関係構築を、親や家族ではなく、赤の他人と...

    2019年8月7日

    中西 哲也