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五木寛之 「他力」(4)
〈諦める〉 前回は、五木寛之の「他力」思想の核心に切り込むべく、「オウム真理教」に関する五木の見解を考察して、悪を自覚することと、仏を信ずることとの関係を問いただしました。要するに、悪を自覚してはじめて仏の側から呼びかけてくれると言う一方で、ひと筋に仏に帰命するべきだと言うことは、矛盾していないのかというのが、筆者の問題提起なのです。 今回は、以上の“論理的矛盾”の問題を明...
2020年9月27日
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五木寛之 「他力」(3)
親鸞の「無差別救済」 前回は、五木寛之の見解を批判的に検討して、次のように問いかけました。それは、人事を尽くすことを「天命」にゆだねるのであれば、悪を自覚することもまた「他力」にゆだねてしまうのかという問いかけです。 今回は、この問いかけの意味を説明するべく、オウム真理教に関する五木の見解を検証します。結論から言えば、麻原彰晃には、悪の自覚があるとは必ずしも言えないにもかかわらず、「他力」思想に従...
2020年9月20日
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五木寛之 「他力」(2)
法然の教え 前回は、『人生の目的』の批判的検討に基づいて、五木寛之の思想の根幹に位置する「他力」について検討しました。簡潔に言えば、筆者(中西)の問題意識は、悪を自覚して神仏と向き合うことにも、「意志」(自力)が必要なのではないかということでした。 仏と向き合って悪を自覚する人が救われるのに対して、そうした「意志」を持たない人は救われることがない。だからこそ蓮如は、前回指摘したように、這い上がろう...
2020年9月14日
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五木寛之 「他力」(1)
『人生の目的』の論理 今回から、五木寛之『他力』の検討に入ります。初回は、『人生の目的』の批判的検討を行って、筆者の問題関心を明確にしてから、「他力」とは何かについての説明を行います。 前回明らかにしたように、五木は『人生の目的』において、「他力」の核心を説明していました。簡潔に言えば、その核心とは、仏の側から呼びかけてくれる、というものです。そのためには、おのれの悪を自覚しなければなりません。結...
2020年9月7日