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私と評論 浜崎洋介『反戦後論』
今回は、浜崎洋介『反戦後論』(文藝春秋、2017年)を取り上げます。浜崎は、小林秀雄に関する書籍も出しており、「文芸批評家」として、参考にすべき点が多くありました。今回は、自分の頭を整理するという狙いにくわえて、彼の「評論」の方法についても学んでみたいと思います。今回取り上げる書籍は、彼が長年取り組んできた論考をまとめたものです。そのため、多様な論点が抽出され、考察されているので、正直、現在の私の...
2022年10月30日
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太宰治 「作家」としての課題
福田恆存や三島由紀夫に関する書籍などを読んでいて、「生活」と「芸術」が文学者に関する中心的テーマとして取り上げられていた。今回は、このテーマが、主観と客観(自分と他者)の問題とどのように関わっているのかについて考える。精神病院に入れられた経験から、太宰治に関心を持ったのだが、彼は率直に「生活がわからないのだ」と言っていた。ただ同時に、そのことが自分の文学の根幹になっているとも述べていたように記憶し...
2022年10月23日
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日本的なるもの 前田英樹『定本 小林秀雄』
今回は、前田英樹『定本 小林秀雄』(河出書房新書、2015年)を取り上げます。近代批評の礎を築いた小林秀雄の思想について、前田は、小林の著作を丁寧に読み解きながら、解説しています。前田の視角を詳しく解説することはできませんが、私なりの視点から、前田の著作をまとめておきたいと思います。前田の著書の意義は、「何が創造を生むのか」という点について、小林の考えを整理したことにあります。芸術家の独自の「問い...
2022年10月20日
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太宰治 太宰治『斜陽』
今回は、太宰治の「斜陽」を、ドナルド・キーンの解説を参考にしながら読み解き、その意義について考えてみたいと思います。なお、『ドナルド・キーン著作集』は、第1巻と4巻を参照しました。『斜陽』は1947年に出版されましたが、翌年6月に太宰は自殺しています。同作品の主人公は、「没落貴族」で、まさに敗戦後の時代情勢に合致したものであったことも影響して、反響を呼んだそうです。さらに深く掘り下げると、外国出身...
2022年10月17日
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私と評論 「客観性」とは何か
別に大学教授の文句を書きたいわけではない。ただ、自分が研究から評論に向かうにあたって、かつて自分が目指していたものとは何だったのか、また自分には肌が合わなかった理由は何かについて、改めて整理しておくことが必要だと感じた。個人的には、大学教育の魅力は、学位ではないと思う。というのも、私自身が、博士を単位取得満期退学しているのに、正社員として社会に貢献していないからだ。「費用対効果」から見た場合、私に...
2022年10月10日
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私と評論 「科学」批判のきっかけ
今回は、「科学」批判をすることになった、私の経験について書いてみたいと思います。「科学」を信奉されておられる方には、私個人の問題として片付けていただいて、まったく構いません。簡潔にまとめると、それは、すべて学者との出会いでした。博士課程まで進んだので、学者と直接対話する機会を得ることができた点は、ある意味では、貴重な経験だったかもしれません。ただ、結論的に言えば、彼らのような、客観的で、合理的な人...
2022年10月9日
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太宰治 松本和也『太宰治「人間失格」を読み直す』
今回は、松本和也『太宰治「人間失格」を読み直す』(水声社、2009年)を取り上げます。以下では、同書の全体の構図を把握した上で、その論理を抽出し、それを批判的に検討します。まず、松本が批判の対象としているのが、“太宰治神話”です。簡潔に言えば、太宰治の「死」の謎は、彼の作品を読み解くことで解明することができるという考えです。そのため、彼の作品は、彼の実人生と照らし合わせて解...
2022年10月9日
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太宰治 作家と作品
私は、軽い男のくせに、へんに堅苦しいところがあって、最初の著書は、ちまたに出回っているような内容が薄い本にはしたくないと考えていた。ただ、実際にその通りの形にしてみたが、評判はかんばしくない。引用文が多いからである。私は、自称「文芸評論家」として表現していきたいと思っているのだが、結局、所詮は「理論」から学問の世界に入らねばならなかった男なのだ。私の「核抑止」に関する学術論文は、理論的な枠組みを理...
2022年10月4日
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私と評論 生活経験から学問を立ち起こす
タイトルの言葉は、拙著でも引用していますが、小林秀雄が語ったものです。今回書きたいことは、生活経験を見つめることから学ぶという姿勢が大事なのだということです。それが、研究から評論に進む際に、私が強く感じたことです。前回述べたように、学者は、一般の人よりも、たくさんの本を読んで意見を出している場合が多いです。自分の研究が、もちろん個人的興味・関心から出発しているにしても、社会に役に立つような発明や発...
2022年10月3日
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私と評論 「自己弁護」が目的ではない
別に大家でもないのに、大仰なタイトルをつけたものですが、太宰治の随筆を読んで、私自身が表現方法について見つめる機会を得ることができました。今回の目的は、太宰論を展開することではなく、私自身の経験を踏まえて、彼がどのような思いで随筆を書いたのだろうかと、思いを巡らせることです。まず、私が太宰に興味を抱いたのは、私が彼と同じく、精神病院に強制入院させられたからです。それでは、その経験は、彼にとってどの...
2022年10月2日