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教育 そろばんの意義
そろばんを教えていて、何の意味があるのだろうと、よく考える。子どもの頃にやっていて、大学院生のときに、少し手伝っていた。そのときは、丸付けくらいのものだった。そのため、やはり生徒が親に、教室に「おっさんがおる」みたいなことを言っていたようだ。そのときよりも手伝うようになったきっかけは、「リハビリ」であった。母に言われて嫌な言葉は、最近は「正常」に戻りつつあるようね、という言葉だ。精神科医みたいな表...
2023年2月22日
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ふりかえる 自己を語るということ
自作を語るわけではない。今後の「文体」について考える、そういうきっかけでしかない。なぜ書くのか?別に与えられた問題など解きたくて、学問をしているのではない。それはもういい。「研究者失格」という肩書きは、「芸術」や「創作」に向かうしかない。東郷克美『太宰治という物語』の最初だけ読み終わったところだ。東郷は、太宰がどうして作家になろうとしたのかについて、太宰作品を読み解きながら、「転向」の意義について...
2023年2月21日
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人生 デジタルとアナログ
現代社会の大きな課題は、デジタルとアナログだと思う。この問題自体は、すでに多くの論者が書いていることなのだから、門外漢があれやこれやと言う必要はない。私がこの問題について言いたいことは、私が身近に感じたことから、これから生きてゆこうとする方向性について探るという姿勢である。予備校で現代文の問題を解説する時、必ずデジタルとアナログの問題が取り上げられているが、それは日本の問題そのものだからだ。日本が...
2023年2月17日
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絶望 何のための学問か
最近、女性の国際政治学者が、夫のビジネスの影響を受けて、メディアへの露出を控えているというニュースを知った。私は、もう外の出来事に関心がなくなったので、そのことについて、とやかく言うこともないし、そんな権利も持ち合わせていない。ただ、以前に国際政治関連の論文を書いたことがあるので、このニュースが目にとまっただけのことだ。私が言うまでもなく、生真面目そうな人が、忠実に学問をせずに、お金目当てでメディ...
2023年2月13日
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絶望 湧きあがるもの
私の内面から湧き上がってくるものがあった。それは、表現しがたいものであった。一番適切な表現は、もしかすると、「自分とは何者か」になるのではないか。それは、「問い」である。それは、普遍的な問いである。そんなものは、皆思っていることでしょ、と言われそうである。たしかに、その通りだ。その問いを、内に秘めながら、日常生活をこなすことができる方が、「常識的な社会人」として活躍されておられるのであろう。それで...
2023年2月8日