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太宰治 傑作
太宰は、自分が生きる意味とは、後期に「傑作」を残すことにあるのだと考えていたふしがある。『晩年』を上梓する前、おそらくは死ぬ気で書いていたのだろう。しかし、彼が語っていたように、どうしてもこの処女創作集では死にきれなくなったようだ。残されている彼の手紙では、「早く死にてえ」というような表現が見られるが、早く傑作を書きたいという叫びであるように聞こえる。それゆえ、「小説」=「遺書」のように映るのは、...
2023年4月17日
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私と評論 わかりやすさと自画像
お前の文章はわかりにくいとは、よく言われてきた。そのとき、それではお前の文章はそんなにいいものなのかと聞けば、その場では気分が晴れた気にはなるだろう。人間とはその場で勝てばそれでよいとするものだと、太宰治が『人間失格』で指摘している。そうではなく、「傑作」を残して死ぬのだ、そのように決めた者の覚悟は、やはり何か違うと感じた。それが、生活面では不能者と言えるかのような人物であっても、だ。ところで、学...
2023年4月15日
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太宰治 生のなかに死をおさめる
今更ながらではあるが、処女作を書いていて、一番ひっかかっていたのが、タイトルにある言葉だった。ビクトール・フランクルの言葉では、死を自分のものとするというような感じだったと思う。戦中から戦後を生き切ったものたちであるからこそ、説得力をもつことができたような言葉である。若輩者が吐いたところで、やはり話題にもならなかったが、医学的には幻聴・幻覚といえるような症状がおさまることがないため、「死」への衝動...
2023年4月12日
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太宰治 「真実」を求めて
最近、東郷克美『太宰治という物語』を読んだ。私の現在の狙いは、かっこよく言えば、日常生活を営みながら、新たな「文体」を模索してゆくことだ。そのような意識をもって、同書を読んだ。改めて自分の処女作を見直すと、研究生活の影響があったためか、まだ文章がかたいようだ。まだまだ理屈っぽいようで、読者からは「読みにくい」という感想しか頂戴していない。東郷によれば、太宰は「転向」後、「話体」の表現に明確に移行し...
2023年4月6日
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太宰治 小林秀雄と太宰治
発狂したと診断されて、太宰のように強制入院を経験して、7年経ってようやく処女作にこぎつけた。「死」をおのれのものとするというか、「死」をおのれの「内」におさめるとでもいうか。処女作では、生きて作品を残すために、戦後日本を生きた小林秀雄の議論を読み込むところから始めた。出版後、太宰の中期的な「小市民」的生活を送っているが、どうしても前述した「課題」を達成することができそうにもなくなってきた。幻聴・幻...
2023年4月4日
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人生 どこが違うのよ
自分を客観化するには、どうするべきか?大学院で他の人と対話して、別の視点があることを知る。多角的に考える。知識をつけるだけでなく、「思考の枠組み」を鍛えた。だから、抑止論という専門分野に取り組んだ経験は、日常生活で「モンスター・ペアレンツ」とたたかうときにも、存分に発揮されている。しかし、学問を生活経験に生かすというのは、やはり小林秀雄が言うように、本筋ではないようだ。教育において、保護者対応や生...
2023年4月3日
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ふりかえる 予測しなさいよ
学習塾を手伝っていたとき、保護者さんと雑談していたら、ある方から、今の状況を予測できなかったの、と聞かれたことがある。物書きをしていることが最優先だったので、健全なる生活を送ることができていなかったのだ。私は、今でも信じて日々を過ごしているので、後悔はしていない。ただ、おもしろいのは、予測しすぎるのもよくないということだ。高校野球は、最終学年まで続けることはできなかったが、もしかしたら先を見すぎて...
2023年4月3日