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教育 研究者と教育者
私は、かつて「若手研究者」と呼ばれた立場だったのだが、ただ感覚的に、おのれの経験を踏まえた文章を書きたかっただけだった。そのため、どうしても教壇に立つというイメージが思い浮かばなかったため、現在に至るまで「教育」にはなじめていない。ただ安心しているのは、今「研究者」ではなくなったということだ。それは、私のいわゆるこれまでの放浪の道に違わず、外部から追い出されるという形に近かったのだが。それはともか...
2023年8月27日
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私と評論 捨てる
私事になるが、明日部屋を整理して、多数の本を捨てようと思う。昨年度捨てたときには、付箋を付けたところを見返すという作業を行ったように記憶している。今回は、今の私に不必要になった理由が頭に漠然と浮かんだので、処分を決定した。「政治」関連の書籍に関しては、最後まで、マックス・ウェーバーやホッブズが気になっていた。ウェーバーは精神を病んでいたようだし、歴史研究をしているので、やはり残しておきたい笑しかし...
2023年8月16日
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私と評論 生活と芸術
太宰は、小説を書いて生きていくと決めていたようだ。だから、「斜陽」がベストセラーになったあたりまでは、かなり生活が苦しかったというような話を聞いた。「走れメロス」みたいな物語を書いていながら、友人をだまして、お金を借りたまま返さないといった逸話も聞いたことがある。ちなみに、小林秀雄も、父が亡くなって、生活してゆく必要から、文章を雑誌に載せたというような話だった。いずれにしても、読んでくれるだけの読...
2023年8月15日
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私と評論 自意識と自然
太宰治は、記憶の限りでは、「津軽」などの作品で、故郷の自然について描写していた。津軽の自然は、容易に人間を寄せ付けないというようなことを書いていたように思う。詳しい解釈はできないし、する気もないが、彼にとって「自然」と出会うことが、大きな問題になっていたことは理解できる。罪深さを抱えた者がかろうじて生きてゆくためには、自然のなかで包まれるしか方法はなかったのだろう。戦後東京に戻って死を遂げるまで、...
2023年8月15日
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ふりかえる 自分で自分を褒める
私は、褒められてうれしかった経験を、思い出すことが、できない。否、必死に消そうとしている。なぜか。精神病院に入っていたときに、褒められて、逆に怒りを覚えたからだ。病院側は、善意なのか、マニュアル的なのか、分からないが、前向きな言葉をかけてくれるのだ。実は、教える仕事をするときには、私も真似している。「普通の人」は、非常に喜んでくれるからだ。申し訳ないが、私は、強制入院させられて、内心では、病院を破...
2023年8月13日
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私と評論 知識と経験
太宰治の理想が、戦後理想郷を語っていたそうだ。フランスのモラリストを基調とし、自給自足の生活をするというような類であったような気がする。私は今、趣味で田畑を耕しているが、そのきっかけは、知識の偏りすぎていたことに対する反動もある。中学生や高校生だった頃、借りている畑で、鍬を持って土と向き合っていた。その頃を思い出している。なぜ太宰は自給自足が良いと思ったのだろうか。有名な言葉になっているが、戦後太...
2023年8月9日